先日私が主席を務めることになったオーケストラの練習がありました。
年明け初の練習では中々の大爆死を起こしてしまい、心機一転ゴールの設定のし直しだという記事も書いた程です(笑)
今回は直接ゴール設定の話というよりは、2回目の練習で想定以上に感覚が戻ってきいる部分やちょうど良く積み直しを見込める部分が見つかったので、今後の方針決め
を兼ねた備忘録をお届けします。
ここで唐突に過去の振り返りですが、私はコロナ禍以前は年間14〜5回はオーケストラの本番があるほどで、オーケストラが生活の一部になっていました。
しかし、学生時代はというと、他のアマチュアオーケストラに武者修行に出る同年代の人々が多い中、年2回本番の学生オーケストラに専念していました。
では学生時代と本番に多く乗るようになってからで技術等に変化があったかと言うと、体感としてはそれほどでもないのです。
あくまで劇的な変化が無いと言うだけで、常にその年に技術のピークを更新している感覚はあるのですが、例えば楽器の操作に関して言えば、鳴らし方の好みが変わったりはしたものの、不自由なく弾けている感覚は学生の頃からあったわけです。
その楽器の操作感への自信はどこから来ていたかと言うと、楽器を触る時間の長さから来ていたのだと今振り返ると思うわけです。
学生時代は本番の回数が少ないなら少ないで基礎練をしたり、取り組んでいる曲を何も残らないレベル奏法の研究をしたりと、とにかく楽器を弾いて遊ぶ時間が昔から長かったのです。
考えてみると、社会人になってから本番の回数が一気に増えたのは、そういった合奏という口実を多く作って楽器に触れる時間を伸ばそうとしていたんだなと今では思います。
そして、コロナ禍です。
次々と無くなる本番と練習、空手やビジネスで変わる生活、私を構成する要素としてのコントラバス、オーケストラは割合としてみると確かに減ったと言えます。
結果として、本番から期間が空いた後の練習で、感覚がだいぶ抜けていて爆死という事態に陥ったわけです。
しかし、全ての感覚が失われたかと言うと決してそんな事は無かったのです。
爆死の回も動けるところは動けましたし、今回は周りを聴きながらも落ちることはほぼ無く概ね楽器も快調に鳴らせて、本番近い時期の8割位まで一気に感覚が戻りました。
何が起きていたか、自分で考えて見るに長い時間をかけ、身になっていた事が消えていなかったんだなという結論にいたりました。
アマチュアなので全て合理的に学習できていた訳ではありませんが、逆に合理的で定着した部分とそうでない部分が明らかになったのです。
奏法で言えば、気持ちよく弾ける場面はほぼ何も考えずに身体が動きますし、かつて無理やり力技で弾いていた部分は引っかかって弾けないのです。
一見すると結局パフォーマンスは落ちている様に見えますが、実は長期的に見ると光明が見えたのです。
私は高校の時から楽器を始め、その当時は師も居なかったので指の取り方もめちゃくちゃだったのですが、それが悪癖となり、合理的でない動きを身体が勝手に取ると言う状態になっていたのです。
良くも悪くも練習時間でカバー出来てしまうので、思いついた動きに無理やり合わせてしまっていたんですね。
今回のブランクで落ちたパフォーマンスはそういった部分が悪癖ごと流れ去ったのです。
これは練習の頻度が多いと逆に困る部分です。
「この前これで無理やりだけど出来たから」と新しいもっと楽な方策から目を背けていたのが、まるまる無くなったので新しく積み上げられるのです。
良い意味での慣れを作るには練習の積み重ねが必要であり、その過程で生まれたノイズを洗い流す為に少し時間を置くというのも、技術向上には役立つという事を実感しました。
積み重ねと息抜き、大事です。
