このブログでは、認知科学をベースとした苫米地式コーチングの用語等の説明をちょこちょこしていました。  

  

 記事にするときの基準として、最低限自分自身で納得が出来る理屈が構築された物を書くように、と言う様に意識してはいるのですが、今回はその理屈が構築される前に実感が訪れた事象があったので、それについて書いていきたいと思います。  

  

 今回のテーマはゴール設定に関してです。  

  

 ゴールというのは端的に言えば目的や目標の事を指します。  

  

 なりたい理想の自分や、叶えたい願いを決める事がまず大事です。 

 

 ここで問題と言うか、コーチが必要になる所以として、良いゴールを決めるのにはクリアしないといけないハードルが複数かつ中々高い位置にあったりするのです。  

  

 例えば苫米地式コーチング以外でも重視されているのがリアリティを持つ事です。  

 

 ゴールに対してのイメージが明確であればあるほど良いとされてはいますが、では小さな願い、自分の手の届く範囲の目標で良いかと言われるとそれもまた違います。 

 

 苫米地式コーチングにおいてはまずゴールを達成した自分、そして達成した自分が何をしているかのリアリティを高める事が重要なのだそうです。 

 

 その間に過程の事は考えない。 

 

 現状の私の理解では、達成した状態のリアリティを追求すればするほど、自ずとそこに至るまでの道のりもはっきり見えてくるのかなといった風に捉えています。 

 

 この辺りが一人では難しい… 

 

 また、過去の記事に書いた「コンフォートゾーン」その外にゴールを設定するというのも大事な要素です。  

  

 コンフォートゾーンの外にゴールを置くことで何が起こるのかというと、 安心できない環境から安心出来る環境へ行く、または安心できる環境を作ろうとする脳の働きに乗っかることが出来るのです。 

 

 因みにこのコンフォートゾーンの外側のゴールは、設定した後にきちんと自分のコンフォートゾーンから出ないと意味を為しません。 

 

 自分の意志でコンフォートゾーンから出る事、そしてゴール側に無意識が力を発揮する様に仕向ける事が大事です。 

 

 人間の無意識の力についてはこのブログでも何度か書きましたが、皆さんの想像以上にに自覚的に認識できている事は多くありません。 

 

 逆に言えば、どこまでが無意識で、どこまでが自分の意識なのか判定を下すのも、少なくとも初心者には難しいのです。 

 

そういった意味で、客観的な状態を判断して、かつそれを相手に理解してもらうという能力が要求される「コーチ」と呼ばれる存在は重要なんです。 

 

 そして、また例によって前振りだけで字数が重なってしまったので、本題である「私が体験したゴール設定にまつわる話」は次回に回します。 

 

 お楽しみに!