久しぶりの抽象化のコツシリーズ、今回は今までとは違った角度からのアプローチで考えていきたいと思います。 

 

 テーマは武術 

 

 ちょっと空手の方で弟子入りを決めた事もあってかなりフレームがそちら側に寄っていますね(笑) 

 

 まずは背景から説明しましょう。 

 

 ※ここから先の内容は個人の解釈が大きく含まれているので、そういった認識で読み進めてください。 

 

 実は武術やら格闘技やらで大きく意見が食い違っているように見えるテーマがあります。 

 

 それは腰の使い方です。 

 

 過去の記事にも少し書きましたが私が浪人位の頃に個人的な第二次空手ブームが来ていました。 

 

 実はその時期は古武術ブームみたいなものが来ていて、西洋の身体操作には無い日本人にあった身体操作のような物が注目されていたんですよね。 

 

 私はそれに一定の価値を見出していますが、中には批判の声もあったりしました。 

 

 中でも賛否両論で注目されたのが「腰を回さない、捻らない」という考え方でした。 

 

 腰というものは漢字でも体を表す部首に要と書く通り、身体操作の観点でも重要であるという事に関しては古武術肯定派、否定派問わず共通の認識なのですが、どうもその操作法に解釈が分かれているようでした。 

 

 ただ、この論争もどちらかというと、キツい言い方で批判している人は相対している側の意見を過剰な意味に捉えているのかなあといった印象なんですね。 

 

 自分自身の身体の感覚と、実際の動きという物は意外とズレがあるものです。 

 

 例えば腕を肩の高さに合わせてまっすぐ伸ばすという事をしようと思った時に、大体は同じ高さ、角度になるでしょうが、細かく完全一致するかというと違いそうなのは分かるかと思います。 

 

 さらに言えば、自分の感覚で捉えている動きと他者から見えている動きが違うという事もあります。 

 

 例えば自分では「ここで90°向きを変えて次の動きをした」という認識でも客観的に見ると「いや110°くらい回ってる」とか「まわりきれていない」とかそういった事はよくあります。 

 

 この辺り、見せるという事に関してはダンサー等、見られるための動きの訓練を積み重ねた人なら、見え方に自分の感覚を合わせに行くことで解決していますが、武術はそもそも稽古は別としてそういった「周りからどう見えるか」に関してフォーカスはしていません。 

 

 こういった、自分の感覚と実際の動きの祖語無理解・不寛容が重なった時に、相手の論に対する過剰な反発が起こるのです。 

 

 まあ要するに、お互いに「腰を捻らない動作で力が出る訳がない」だの「正しい身体操作を理解していない」だのやいやい持論だけ放つ水掛け論になっていたのです。 

 

 これは私の完全な主観ですが、この水掛け論の正しい落としどころは適切な動かし方が一番という所だったりします。 

 

 古武術側の「腰を回さない、捻じらない」は言い換えれば「腰を回すことを目的にしない」と言った方が正しいかなと思うのです。 

 

 腰が強い力を発する要だという事を理解していても、他をおろそかにして「腰だけ意識すれば良し」とはならないわけですね。 

 

 翻って格闘技の視点から見れば、人間の構造上無理の無い範囲であれば、というか全く腰や体を回さずに動くことは逆に不自然だとも言えるのです。 

 

 ではどう考えるか、私は「必要以上に腰に意識が行かないように、感覚としては回そうとしないという認識で動かす」が正しいのだと思います。 

 

 人によっては玉虫色の結論に感じるかもしれませんが、案外こういった感覚は大事です。 

 

 今回のテーマで言えば一見対立した主張ですが、抽象化すると腰の重要性という物が出てきますし、さらに言えばお互いに自然な身体の動かし方という物を主張しているんですね。 

 

 その上でお互いにどういったフレームでのぞき込んでいるかが分かれば、どちらか一方が正しいというよりも、両者の真に述べたいことを包摂した要素を導き出す事ができるはずです。 

 

 さて、実は本当に話したかった事を伝える前段階で一記事出来てしまいました(笑) 

 

 続きは次回、空手にもある腰の使い方論争を別の格闘術視点で抽象化するの巻です。 

 

 お楽しみに!