前回の記事からの続きです。とりあえずざっくりと前回の内容を要約すると。
・次の演奏会の曲目「田園」は難しい。
・ベートーヴェンは難聴を患っていた
・実はベートーヴェンの時代にコントラバスは完成していない
・ベートーヴェンがコントラバスに重要な役割を与えるようになったのはドラゴネッティのおかげ
といったところでしょうか。詳しくは参照してください。
そしてこの田園という曲はドラゴネッティを知っているから求められた無茶なのではないかというのが割と一般的な認識だという所から再開します。
さて、一口に作曲といっても作曲家によってアプローチの方法が違います。その中で楽器ごとの役割の配分の仕方に注目すると、時代によってある程度の変革が起こっていることが分かります。
簡単に例を挙げるなら比較的ベートーヴェン以前は楽器の音色に加えて構造上の向き不向き等にも配慮された作曲をしていました。
それが時代が近代になるにつれ発想が変わってきます。現在の作曲家は、楽譜制作ソフトに楽器を指定して楽譜を打ち込めばどんなに難しい曲を書いても再生されます。
その様な「実際に出来るかは別としてこの音が欲しい」という考え方はコンピュータが普及する以前の20世紀には定着していたそうです。
私がその話を聞いたのはラヴェルという作曲家の曲に取り組んだ時でした。言われてみるとコントラバスの一番低い音で細かいリズムを刻ませるという部分がありました。
正直な所太く長い弦で細かい音を弾くの現実的ではありません。弦を振動させてそれが音になる前に次の音を出さないといけなくなるからです。これが近現代の楽器の割り振り方です。
私はこれまで、ベートーヴェンは楽器の性能を理解した上で楽譜を作成していて。ドラゴネッティの演奏という現実のイメージがつく存在が居たからコントラバスパートに無茶をさせるのだと思っていました。
しかし、ひょっとしたらこの考えは違うのかも知れないなと思う出来事があったのです。
それは以前の記事の練習の後の飲み会での事です。コロナの影響などもあり充分な人数が揃えられなかったコントラバスパートの事も含めて曲に関する談義になったのです。
私はベートヴェンの属する年代的にもそこまで無茶に人数を揃えなくても良いのではないかという主張を持っていましたが、そこで別の視点を提示されたのです。
田園は一度は死を決意した後の作品であり、そして難聴はかなり進んでいる。譜面にあるのは実際になる音というよりも彼の頭にある理想そのものなのではないかと思う。
との事でした。そう言われると納得できる部分が私の事前知識ともつながったんですよね。
コントラバスは現在では普通の楽器の最低音がE(ミ)5弦の楽器ならさらにそのしたのH(シ)またはC(ド)になります。何故一定で無いかと言うと通常の弦と弦の音程の幅にするとHですが、楽器の役割としてはチェロの1オクターブ下が鳴れば良いという考え方もあるので奏者や曲によって調弦が変わるのです。
因みに田園に登場する最低音はCです。
ベートーヴェンの時代のコントラバスは現在のものと違うという話はしましたが、その当時の低音弦楽器の一番低い音はD(レ)にチューニングされるのが主流だったそうです。
当時は今ほど厳密な調弦のルールは決まっていなかったそうなので曲に合わせてチューニングを変えることもあったでしょうが、いずれにせよ当時の楽器を念頭においた記譜では無かったようなのです。
奏者の技術でなんとかなる無茶なら「ドラゴネッティは出来たんだろう」で片付けられるのですが構造的に無い音を望んでいるなら確かにそれはベートヴェンの頭の中にしかない理想の音かもしれない…と繋がるのです。
ベートーヴェンは音楽史においては古典派音楽とロマン派音楽の両方に属する音楽家に位置づけられていますが、それはつまり古典派から新しいジャンルに飛躍させたという意味でもあります。
先に挙げた現在の作曲家なら出来る「理想の音は出る前提で作る作曲」もある意味でベートーヴェンが先駆者だったとも言えるのかも知れません。
私も一人のコントラバス奏者としてドラゴネッティのせいにして音を上げずにベートーヴェンの目指す音を出さないといけないのかも知れません。
気合を入れ直してがんばります。