以前の記事で身を護る事について書きましたが、今回は改めて正しい護身のあり方を確認するお話です。 

 

 このブログでも何回も記事にしていますが私は現在ある会派の空手に所属して稽古に励んでいます。実際に稽古しているのは空手のみですが、武術全般に関して調べたり、動画を見たりするのも好きなので、ネットで色々と情報収集をしています。 

 

 そんな中、SNS上で護身術に関する様々な問題提起が行われているのを発見しました。 

 

・護身術として紹介されている技は相手の技量の想定を低く見積もり過ぎていて逆に危険だ 

・相手を倒せるという認識を持ってしまい、勝てると思い込んで危険な状況からの離脱の判断を鈍らせる 

・暴漢に勝てるという認識が私的な懲罰思想を育ててしまう。 

 

 等々です。 

 

 例に挙げられているような危険性は非常に有りそうな話だなと思いました。この危うさは何によって起こるのか、それは護身の正しい目的を認識していないからです。 

 

 護身とは字のごとく身を護ることです。正しく意味を理解しているのなら相手に勝つとか負けるとかに重要性はなく、自分や護るべき存在の安全が確保される事こそが本質だと分かるはずです。 

 

 このフレームで見ると例に挙げた3つは、護身と銘打っておきながら術理を利用したその場の勝ち負けしか見ていない時に起きる事象だというように抽象化できます。 

 

 端的に表現するならその事象が術に溺れる事だと言えるでしょう。要するに手段に固執して目的を見誤っている状態です。 

 

 この手段と目的の乖離はある意味で武術に関わりのある者達にとって真剣に対処しないといけません。 

 

 教える側も人が術理の誇示に走りやすいことを理解した上で術理そのものよりも身を護る思考について教えないといけないですし、学ぶ側も身を護る目的を大前提にする思考を作ることを常に意識しないといけない。 

 

 少なくとも現在の日本において、かつて武術が必要とされていた時代の様な本当に相手を打倒さないといけない状況はまずありえません。自ら敵の制圧まで行わなくても危険な状況から身を離した上で然るべき対処をすれば安全は確保できます。 

 

 護身術とはそういった安全で正しい対処が出来なくなった時、最後の最後でようやく出てくるものなのです。つまり小手先の攻撃技は使わないのが正しい。 

 

 しかし、確かにそういった極限状況に陥った時にそういった知識が全くのゼロなのと多少なりとも有るのとでは生き残る可能性は後者の方が高いでしょう。 

 

 ここでも注意しなくてはならないのが、護身術で習った技を使おうと思っても、それ頼みになってしまっているとうまく決まらなかった時に自分自身の隙に繋がり非常に危険なのです。 

 

 万が一護身術を使わなくてはならない状態に陥った時の正しいマインドセットは使えるもの全てを使うです。 

 

 技を使うことに拘らなくとも手元に物が有れば投げつける、大きな声出して威嚇する、助けを呼ぶ、逃げる、等々あらゆる手段を講じる事が大事です。 

 

 そういった意味でとっさに出てくるように身体の感覚を磨いておくという意味で武術に取り組むのは有効でしょう。それを使って危険を乗り切るのではなく、手札を増やしておくという感覚です。 

 

 長々と書きましたが大事なのは護るという事の本質です。現在の日本は安全の確保はしやすいのは事実ですが、絶対的な安全はありえません。 

 

 今回私がSNSで見たような話題が定期的に上がるのは、護身に関しての認識を改めるという観点でとても良い事だと思います。 

 

 皆さんも過去の記事も合わせて、時々身を護る事の意識を確認するようにしてください。