先日私が所属する会派の空手の道着を発注しました。
いやー本当はもっと早く発注したかったんですけどね(笑)ちょうど道着を発注するメーカーを変えるタイミングで入会してしまったようで宙ぶらりんになってしまっていました。
幸いにして中学の頃まで空手を続けていて、道着だけは身長に合わせて買い直していたのでその時の胴着を引っ張り出して着ていましたが、がっつり前の道場の名前の刺繍が入っている物だったので、昇級審査の時は気まずかったです。
人によってはこういった事を特に気にしない方も居るでしょう。私の所属している会派は道着を着なくても構わないくらいなのでなおさらですが、なんとなく気になっていたんですよね。
因みにここらへんは気になる人は即直したほうが良いです。所属意識や自らの実力に対するセルフイメージが低くなってしまうからです。
セルフイメージと聞いて「なんの事だ?」と思われる方も多いでしょう。
セルフイメージは簡単に言うと自分自身に抱くイメージの事です。簡単すぎるのでもう少し言い換えると「自分で規定した自分の範疇」です。
要するに「私は〇〇だから✕✕が出来る。△△は出来ない」というようなことです。
具体例を入れるなら「私は進学校出身だから勉強が出来る。全て勉強に費やしたので運動は出来ない」みたいな感じです。
出来る出来ないのような二択では無くても、「私はこういう人間」というのはセルフイメージです。
このセルフイメージというのは中々厄介でプラスにもマイナスにもかなり強く働きます。
例えば以前紹介した記事の「この音が鳴ると確信して弾けば何処を押さえてもその音が鳴る」という話に近いです。
仮に私が一定以上の技量を修得した上で「私は上手いコントラバス奏者だ」というように演奏に関してのセルフイメージが高かったとしましょう。
そうすると自分自身の無意識に身体を委ねて思った通りの場所で思ったように音を鳴らすことが出来ます。
しかし、ここで嫌な予感が過ぎってしまって「あ、失敗するかも」と思ったりしてセルフイメージが下がると途端に音程が分からなくなって変な音が出るのです。
この悪いセルフイメージは過去の演奏会でのソロを弾く部分でも相当足を引っ張られていました。
話を戻します。空手の道着に関して道着を着なくても問題ない人は、それ以外の所で会派に所属しているセルフイメージを強く持つに至る要素が有るようでした。
それは稽古仲間との交流であったり、師範からの信頼を直接感じるようなエピソードがあったりと様々です。そういった事でセルフイメージが担保されているのであれば問題有りません。
因みに振り返ると、過去の記事に書いた昇級して技量が上がったというエピソードもセルフイメージに関わりが深そうです。
それだけに、まだ入ったばかり感が強い私が他流の所属意識が抜けきらないと「まだ馴染みきっていないから出来なくても仕方が無い」というような状況に陥りかねないんですよね。
しかし、その悩みからもこれでおさらばです。
これで更に上達できる!※これも一種のセルフイメージのUP方です(笑)
今から楽しみです。