このシリーズで書かれている内容は二次創作要素を多く含みます。いわゆる自分設定なので実在の作品、人物とは別物だという理解の元お読みください。
その1で作品の概要、その2で島津豊久と境井仁の共通点について触れた訳ですが、今回は相違点をあげ更にそこから新たにゲシュタルトを構築し、両者を繋ぐ二次創作的ストーリーを考えてみようと考えています。
豊久と仁の相違点に関してまず一番に挙げられるのは戦に対する視点の違いでしょう。両者共に勝つために使えるものは何でも使うという共通点があるものの、手段を選ばないことへ思うことには違いがあります。
仁は、というかGhost of Tsushimaの世界の武士は何よりも「誉れ」を重んじます。正々堂々と正面から戦って敵を打ち払う。高潔な精神こそが力であるというようなスタンスです。
しかし、その誉れを重んじる武士たちは蒙古を前にして敗北を喫したのです。誉れにこだわり負けるのならば民は守れない。後に仁はその戦いの様を伯父に咎められた時にこう言い放ちます「誉れは浜で死にました」と。
しかし幼少期より伯父に教えられ、自らもそうあろうと願った「誉れ」ある武士への憧憬が消えたわけではなく、どこか自分自身の有様を後ろめたく思っているような描写が見受けられます。
対して豊久は豪快です。前回の記事挙げた敵将との戦闘で彼は逃げる隠れる食器は投げる。いい加減苛立ちを隠せない相手に士道は無いのかと言われてもどこ吹く風
首の掻き合いにに道理など無い。使える手を全て使わないのは相手に失礼だと、そういうスタンスなのです。
これもまた正しいあり方ではないでしょうか。相手を認めるからこそなりふり構わず全てを出し切るのです。
因みに豊久も「誉れ」という単語を使った事があります。それは自らの剣術をエルフの民兵に指導するときのことです。
彼の、薩摩の剣術は一撃に全てを込め、後のことは考えないといいます。指導を受けたエルフが聞きます。「もしその一撃が外れたり躱されたりしたら?」と。それに対して彼はこう答えます。
さぱっと死せい。黄泉路の先陣じゃ。「誉れ」じゃ
仁の伯父殿が拘る民の規範となるべきといった要素の強い物と違い、薩摩の誉れは潔く自らを出し切ることに特化しているようです(笑い)
さて次に違うことと言ったらまあ端的に生きた時代が違うんですね。フィクションとはいえ元寇を相手にした仁は西暦1200年代、関ケ原の戦いに参加した豊久は1500年代後半に生きた人間で300年以上の開きがあります。
唐突ですがここである1つの要素を入れると新しいゲシュタルトが構築され二次創作的なストーリーが生まれます。
その要素とは元寇は2回あり、2回目の侵略には島津家も参戦しているという事です。
そうすると、元寇における仁の活躍が後の武士に影響を与えた結果、豊久に代表される薩摩武士のあり方になったというお話が考えられます。
こう考えると作中で対馬を救った功績とは裏腹に日陰者の道を歩む仁に救いがある気がして良いですね。
もしくはGhost of Tsushima2があったとして、豊久の祖先が2回目の元寇に再び立ち上がる仁の理解者になっている展開とかを考えると非常に胸アツですね!
一見すると似た所があり、しかし一歩踏み込むと光と影のような相違があり、それをつなげるストーリーを構築する。
両者が繋がる世界を創作すること、これがいわば抽象化、フレームの変化、ゲシュタルトの構築の訓練になります。
皆さんも好きなゲーム、漫画、小説などでやってみてください、楽しみながら力が付きます。