前回の記事で挙げた管弦楽部と吹奏楽部の対立構造を管弦楽部の経験しかない私の立場から如何に肯定的に受け止めるかの私なりの回答その1感情の乗らないフラットな情報を集める編です。

 

 

 おさらいとして、今回取り上げる対立構造の例を確認しましょう。

 

管弦楽部は文化部っぽい吹奏楽部は運動部っぽい

管弦楽部にはコンクールが無い吹奏楽部にはコンクールがある

管弦楽部はちゃんと基礎練をしない吹奏楽部は基礎練をしっかりする

管弦楽部は上手い人の譜面はきれい吹奏楽部は上手い人の譜面が汚い

 

 ここからしょうもない水掛け論に発展しないためにどの様に思考を進めれば良いのか、1つは以下のように考えることです。

 

・フラットな情報整理
 まず始めにそれぞれの対立構造の要素を分解します。もし討論をする時などは出来る限り情報収集をした上で整理をした方が良いですが、今回はあくまで多少偏った立場でも逆の立場を肯定的に見るというお話なのであえて予備知識は増やしていない状態で進めていきます。
 ①に関して思う所としては両者共に取り組む物自体は音楽であり一緒ですし、練習量もそこまで差が出る事は無いと思います。現に私の高校には管弦楽部しかありませんでしたが基本毎日練習はしていました。高校時代のクラスメートが当時を振り返って「お前ら野球部よりも練習しに学校いってたもんなあ」と言っていた程です(笑)
 では何故吹奏楽部が運動部よりな印象になるのか?私の見解としては運動部の応援で試合に立ち会う機会が多いこと、構成する楽器がほぼ全て息を吹き込む楽器であるため、腹式呼吸や走り込み等のトレーニングを行うことが多いことが要因ではないかと考えています。
 これが管弦楽部ではどうだったか、私の高校では管楽器はやはり応援に行っていましたが弦楽器は音量も足りないですし参加していませんでした。そうすると半分くらいは応援に参加していない事になるので体育会系の印象は付きづらいかなと思います。トレーニングに関しても弦楽器は呼吸を大切にしないかといえば決してそんな事は無いのですが、比較的発音の基礎から呼吸が必要になる管楽器と違って、弦楽器は合奏中の合わせ方等応用段階まで呼吸に意識を割かなくても出来なくは無いのでそこにもセクション間の違いが生まれます。
 このように近い側面がありつつも、運動系の要素は部の全体に適用出来る訳では無いことから印象の違いが生まれているのではないかと仮定することが出来ます。

 ②に関してはただ本当にその通りということしか出来ませんが、対立構造で盛り上がりたい人はそこから「結果の伴わない管弦楽」として下げたり、「音楽というものに優劣をつける吹奏楽」等と言って叩いたりという事をします。

 とはいえ、私が考えるところとしては似てはいてもジャンルが違うことを考慮すれば感情に左右されることは無いと思います。

 日本での文化の浸透度合いとして教育との結びつきが強い吹奏楽は多くの学校で部として採用され、その母数の多さと規模の大きさがあるからこそコンクールを開く事が出来ます。それについても前述の通りほぼ全てのパートが息を吹き込むという性質から全体に共通する基礎が管弦楽より多く、指導体系を作りやすいというようなメリットは確かにあれども明確な優劣ではない筈です。

 

 コンクールという形式についても吹奏楽コンクールの課題曲の作曲者はそのタイミングで存命の方であるようで、つまり評価のポイントは明確に抑えられるのです。管弦楽は基本的には著作権が切れるほど過去の作曲家を取り扱うことが多いです。作曲家の意図の解釈も人や時代によって幅が差が大きいので、コンクール形式にするには中々の労力が必要です(出来ないわけではないです)

 

 ここまで考えればコンクールの有無がジャンルの優劣に直結するのではなく、そういった運営が出来るだけの組織力があるかの差でしか無いことが分かると思います。

 組織力に関することは、また別の問題なのでここが理解できていれば不要な衝突は起きないはずです。

 

 ③については少し自分の経験上思い当たる節もあります。しかし、これもなんの基礎かということを明確にしないと誤解が生まれます。

 

 私が思い当たる節は音楽の基礎に関してです。私の高校の管弦楽部は顧問はいましたが、音楽の指導に当たるというよりは運営を統括するような立ち位置で、指揮も学生が振っていました。全体の基礎練もあるとはいえ比較的その時取り組んでいる曲についてクローズアップされた練習に偏りがちだったと思います。

 私の高校時代の話はある種具体化されすぎていて例としての信頼度は低めかも知れません。しかし、前述の通りある程度発音の基礎に必要な事が共通している吹奏楽と違い、管弦楽では管と弦で発音の原理が違うことで共通の練習を組むのが中々難しいです。同じだけ基礎に時間を費やしたとしても個々の楽器の奏法の基礎で差が出やすい為「部」として纏まって音楽の基礎を学ぶ時間が少なくなりやすい傾向はあると思います。管弦楽部出身としてはそれを念頭において音楽の基礎に取り組もうと思うばかりです。

 

 ④これはつい最近SNS上で話題になった事ですが、過去にも何度か同じ様に取り沙汰されたことがあります。吹奏楽コンクールで結果を残した人の楽譜には元の音が分からないほど大量に指示や注意ポイント書き込みがされているとしてその画像が出回ったりするのです。

 それを見て狂気だの合理的じゃないだの言う人が居ますし、また一方でプロオケの奏者の譜面は最小限の目印の書き込みしかないという話もあったりして論争が巻き起こるのです。

 

 実際の所これも今挙げた話だけでは判別がつかない事があります。まず始めにその結果を残した人は本当にその譜面しか使っていなかったのかという事です。私自身は正直なところ不精な事もあってあまり書き込みをしませんが、大学の管弦楽部の先輩は練習で一定以上書き込みが増えてしまうと新しく譜面を作り、本番用に本当に要所だけ書き込む清書用にします。前から使っていた物は練習用にするのです。

 ここから類推すると音符を追うためのきれいな譜面と書き込み用の譜面を持っていた可能性があります。また、コンクールという一種の勝負要素もある晴れ舞台に向けてモチベーションを高めるというのも1つ大事な要素です。音を全部暗記してしまうほど練習を重ねたのなら、その積み重ねをモチベーションに変えるために書き込みが多い方を本番用として使用することもそれほどおかしなことではないと思います。

 

 もう一つのプロ奏者の譜面との比較も情報が少し足りません。そもそも管弦楽ではアマチュアにおいても弦楽器に関しては譜面を2人で1つを使うということもあり、自分だけが暗記していれば良いというわけではありません。他人が見ても理解できるきれいな状態しておくことは半ば必須事項です。そのうえで揺れる所や注意ポイント等どうしても書いておかないといけない所だけ抜き出して書き込むのです。プロに関しても本番の譜面は個人のものではなく楽団が用意したものです。指揮者毎に変わる指示を書き込んでいたら後々混乱を招きます。本番までのリハーサルの回数もアマチュアと違い少ないので短期的に頭に叩き込むという対応のほうが合理的な事も有るのだと思います。

 

 こうやって考えれば書き込みの多い少ないに関して違った側面からのそれぞれの合理性を見出すことが出来ます。

 

 以上がフラットな情報を集めた事による見解です。結果として合理的な理由付けを自分の中で作れれば肯定的に受け止めることが自然に出来る筈です。

 

 次回はこれに加えてもう一つの対立構造を出来る限り作らない思考の繋げ方についてお伝えします。