昨日高校時代の友人二人と私の3人でZOOM呑みをしました。その友人は高校時代の管弦楽部の同期で概ね年1回位のペースでは会っていたのですが、年齢か私が生き方を変えたからか、今までとはまた違った得るものが有ったのでその変化についてお伝えします。
振り返れば私と友人たちとの出会いはもう14年程前になります。昨日呑んだ二人の友人のうち一人は同じクラスでもう一人は隣のクラスでした。
実際私が管弦楽部に入ったきっかけは同じクラスだった方の友人で、席が私の2つ前だったのですが、1つ前の人とまとめて「オレ管弦楽部入るつもりだけど一緒に見に行かない?」と誘って来たのが全ての始まりでした。
当時自分は家の最寄り駅近くで演奏するジャズのストリートミュージシャンにはまっていて、その中でもコントラバスの演奏にかなり惹かれていました。しかし、音楽経験はなく、記憶は曖昧ですが声をかけられるまで管弦楽部に入ることは選択肢に入ってなかったと思います。ある意味潜在的に楽器を始めたいと思っていた私に偶然とはいえその様な誘いがあったのは一種の縁だなと思います。
もう一人の友人もなかなか私と当人間の独特な距離感が楽しい間柄です。彼は高校に入るまでアメリカに住んでいたいわゆる帰国子女です。親しくなったタイミングなのか、同じ管弦楽部の仲間でも私だけ彼がアメリカで呼ばれていた名前を変形させるタイプの愛称で彼を呼び、他は名字か名前そのままで呼びます。因みに私も高校のごく初期にだけついていたあだ名があるのですが、そのあだ名で呼び続けるのは今では彼だけになっています。
高校の管弦楽部という縁で出会った私達ですが、今は3人違う道を歩んでいます。同じクラスだった方の友人は私大の職員になり、もう一人の友人はアメリカに戻り、IT系のベンチャーのほぼ立ち上げメンバーに近い立ち位置で働いています。オーケストラを続けているのも自分だけで、現在の自分たちの要素ではほぼ接点が見つからない3人でした。
奇しくも以前の記事とは逆の構図とも言えます。現在の自分と共有する物を持つ多様な人々との交流か、過去を共有した故に得た繋がりで今の自分には無い世界と関わりを持つか、しかしプロセスの違いだけで得られる物はどちらもとても多いです。
同じクラスだった友人は来月辺りに第一子が生まれるそうです。出会ったのが高校だった分時の流れを強烈に感じましたが、我々ももうそんな年だなという実感もわきました。子を育てるという感覚は分かりませんが、私にもかなり年の離れた弟がいるので赤ちゃんとの接し方は出来る限り思い出して伝えました。少しでも彼とその家族の役に立てればなと思います。また、彼のお子さんの健やかな成長を祈るばかりです。
アメリカに戻った友人からは一種の貴重な話を聞くことも出来ました。今アメリカでは差別問題の激化が起きていますが、それに伴いKindleでの関連書籍の売上が上昇しているそうです。また、アメリカでは警察官に高校の卒業と6ヶ月の訓練を通過すればなれるという話も聞きました。度々起こる警官による死傷事件も銃社会であるということだけでなく、そういった要素もありそうだと言うことが分かりました。
アメリカの差別問題に関しては正直自分には知識が足りないこともあり、なかなか目を向けることが出来ずにいました。しかし、この友人とのやり取りをきっかけに今までよりも実感が湧き真剣に考えようとも思いました。
まだ記事を書ける程の理解は自分の中にはありませんが、1つ自分の中に種が蒔かれたように感じます。
このように過去から繋がる縁がふとこれからの自分の変化の兆しになることもあります。今回の様に良い形が常にあるとは限りませんが、縁に対しての自分なりの視点を持ち、良いものを得られるようにしましょう。