今回は少し重めの話ですが自分の中の嫌な物との向き合い方について役立てていただければなと思う一つの持論です。

 

 最近誹謗中傷が話題になっていますね。SNS上ではついこの間まで誹謗中傷はいけない!と叫んでいた人がふと気づいたら誰かを叩いているなんて事もざらにあります。彼らは自分が言ったことも理解できていないのでしょうか?私はどちらかというとそうではなく、事象との距離感を見誤ってしまっているから感情がコントロール出来ていないんだと思います。

 炎上から身を守るためにという記事でも書いたように基本的に面倒くさいのはその事件に関わりのない外野です。そういった人はその事象について深く理解するつもりがないからどちらか一方の立場に立って反対側にいる存在を叩く事が目的にすり替わるのです。本当にその事象に対して問題意識を持っている人は、どちらかが正しいということではなくその問題がどうして起こったのか、どうすれば防げるのかが重要である事に気付くはずで、その場合は自分と逆の立場の意見がどういう物かを理解しなくては前向きな解決が望めない事を理解出来る筈です。

 

 

 コロナの影響で私の趣味であるオーケストラはプロ・アマ問わずその活動の休止を余儀なくされました。しかし、緊急事態宣言が発令される直前まではどうにか演奏会が開催出来ないかそれぞれの団体で方法を模索していました。客席を隣り合わない様にする、HP等で発熱が見られるお客様の来場の遠慮を促す、マスク着用の義務付け、消毒液を入り口に設置する、etc.各団体が必死になって考えていました。アマチュアでさえもです。

 それほどまでに演奏会を開催したいのは演奏に対する思い入れがあるからです。ただの趣味かもしれない、それでも仲間と集まって悩み、苦労して作り上げた物を発表という形で世に出したいのです。

 

 私にとってオーケストラとはそういうものでした。オーケストラの部分が他の趣味でも仕事でも、自分に当てはまる大切もので想像して貰えれば無念の感覚は理解してもらえるかと思います。

 

 しかしそういった活動に対して心無い発言をする人というのはどこにでもいます。「この状況で演奏会を開こうと考えること自体が非常識だ」「もし演奏会場がクラスターになったらどう責任を取るつもりだ」等そういった事を言う人がいます。

 勿論中にはこちら側の意図を酌みながら建設的なアドバイスと共に自粛をした方が良いという呼びかけも有ります。と、いうかある意味問題の争点が状況と感情の不一致な訳ですから、本当に解決を求めているなら自然と自粛を促すとしても言葉が変わってくる筈なのです。

 

 半ば偏見なのであまり良くないですが、SNS等でオーケストラの公式アカウントや奏者に対してその様なコメントを残す人は普段の呟きを追ってみても大概演奏経験どころか演奏会を聴きに行く様な習慣もありませんでした。後は自分も自粛したのだからお前のところもそうするべきだの様な論調の人居ます。いずれにせよ「自分はこうした」で思考が止まって他の道を探す事はしていない場合が殆どです。

 

  若干自分の私怨も入ってしまっていましたが、論点を戻すために断っておくと決してオーケストラに関する理解を求めているということではありません。

 私のオーケストラでの経験を知ってもらうことで、大概の問題には深い根があり本当の解決には相応の苦労が伴うということを理解して貰いたいのです。

 上辺だけの正論を投げかけた所で、人の感情は簡単に動かせる物ではありません。泥沼にはまった人を助けるには自分も泥に足を踏み入れなければならないと言うことです。

 

 これを余り理解していない人が浅い誹謗中傷をするのです。健全な議論をしていてもそういった人がいると状況がややこしくなります。例えるなら生態系の観察の為に泥沼に入って調査している人に対して何も知らない外野が「汚い汚い!」と言って騒いでる様な状況です。

 なにも問題解決の為に一緒に泥沼に入ってくれと言っている訳ではありません。それなのに半端に近づいて泥を被って騒いでいると思うとなかなかに度し難い行動であることが理解できると思います。

 確かに泥を被ることなは嫌なことでしょう。しかしそれは本当にその人が被るべき泥なのでしょうか?

 これが事象との距離感を測れないことに起因する不要な負の感情の励起です。

 

 世の中の全ての問題を自分が解決しないといけないわけではありません

 何か問題があってそこに物申したい時、本当にそれが自分のリソースを割くのに値する事なのか立ち止まって考えて見てください。自分が不利益を被ってでも解決したい問題等そうそうある物ではないのです。もっと有意義な事を見つけ出してそこに注力するようにしましょう。