改めまして私が何故このブログを始めたか、これまでの経緯を含めてお伝えします。前回の記事も合わせて読んでみると面白いかもしれません。
私は現在都内で派遣社員として働いています。実家ぐらしで収入はそこそこ、特に現在生活苦があるというわけではありません。
趣味はアマチュアオーケストラでコントラバスを弾くこと、コロナ以前では年間10回程本番があって休日はだいたい練習でした。それ以外の趣味としては漫画を読んだり、ゲームをしたりしています、創作物にのめり込む傾向にあるのでゲームや漫画の語られない側面を考察したりもしていて趣味の面では結構充実していたと思います。
しかし、将来どのようになりたいと言うような明確なビジョンはなく、「緩やかな不安」は頭の片隅にありました。そんな中でも「寄らば大樹の陰」的な精神でとりあえず日々仕事をこなし今そこにある楽しみに興じるという生活でした。
学生時代からお世話になっている先輩が独立して自営業で働いてる事を知り、何度か仕事の現場にも立ち会わせて頂いたりすることがありました。自分に自信を持ち、生き生きとしている姿が眩しく見え。何より自分が持っていた「とりあえず雇われる」という認識の外にある生き方の可能性を知ることが出来たのが大きかったです。
とはいえ人は人、自分は自分。何か自慢になるような能力があるわけでもないし、これだと言えるような経験を積み重ねてきたわけでもない。その道に踏み込まない理由さえ「ぼんやり」としたまま日々を過ごしていました。
コロナ禍で仕事が休業になり、自分の今後について考えていた頃、件の先輩ともよく呑みに行きその雑談の中で「自分の考えの発信は誰かの価値になり得る」というような事を教えて頂き、あるビジネス講座とオンラインサロンについて知りました。
まずはじめにその講座の申し込みと、今後の発信の種にしようとしていたゲームの考察の一部の発信をtwitterのアカウントを専用に作って行い、少しづつ仲間を増やし始めました。
それまでもぼんやりと「こう出来たらなあ」程度に考えていたことを実行に移すということを始めました。
講義を聞きながら自分の中で要点だと思ったことをキーワードだけでもメモる。一つ一つの講義がボリューミーなのですが集中力が続く限りはすぐ先の講義へ行くようにしていました。
また、先輩の仕事を少しだけ手伝うことになり、アドバイスを受けながら自分でも工夫をして今までの認識の外にある行動をするようになりました。
講義が40%程進んだあたりで自分の思い上がりを自覚する瞬間がありました。
「行動が遅い人は完成形が降りてくると勘違いしている」という趣旨の内容だったのですが、打ちのめされました。まさしく自分がその通りになっていました。
「とりあえず一通り講義を聞き終わってからワークをやろう」「ブログはその後始めよう」というように準備そのものを先送りにしようとしていたことに気付いたのです。
自分の認識していなかった怠け癖に焦り、慌ててアメブロのアカウントを取得して記事を投稿しようと思いました。
…上手く書けない…ある意味当たり前の事ですが纏まらない。とはいえとりあえず言いたかった事の要素は入れて投稿しました。
どうにもやっぱり上手く行ってないなと思い、過去の講義を振り返りながら改めて記事を見直して見ました。
割と最初の方に言われていたにも関わらず「素人くささ」がプンプンする文章であることに気付きました。何もない自分がこれから頑張ります。みたいな内容です。
しかし、それを自覚して書き直すと案外大筋は変えずとも「自信なさ気で弱気な発信」を「確信を持って伝えるメッセージ」に変えることが出来ました。
一歩踏み出して見える世界の違いが分かり、これまでの自分が何につまずいていたかの俯瞰的な分析も出来るようになりました。小さくとも挫折を糧にして先のステージに進む体験が出来たことでこれからまた試練が降りかかろうとも乗り越えるビジョンを持つ自信に繋がりました。
これまでの自分は自らの思考には深く没入するが他人の話や思想は一歩引いた位置から観察するという姿勢でした。この姿勢は他人の行動に納得出来る理由付けが自分の中で出来るのである意味で一定までの穏やかな心の環境作りには役立つものでした。
しかしそれはまた一方で自分の可能性にも境界線を引いて閉じこもる行為だったのです。
自分で作ったぬるま湯に満たされた殻を破ったことで、視点も新たになりました。
人と話していても、得られる情報や解釈がより前向きに変わり、自分から発信する言葉も変わりました。それまで朧げだった不安や自分の欠点も輪郭が見えて対処の道筋が見えました。
それまでの人生で得た認識の外に飛び出る事で新しい価値観に触れることが出来ました。
そして何よりこれまで見ていた景色の良いものがより鮮やかに素晴らしく見え、嫌なものがとても小さく恐れる必要が無くなったと事が大きな喜びです。現在はかつての自分と同じような「緩やかな不安」に苛まれていてそこから抜け出す手段を模索する人達の力になれるようみ日々活動しています。