「病は気から」この言葉を全く聞いたことが無いって人は殆ど居ないと思います。
しかし人によってまたは状況によって使った時のニュアンスが違うのではないでしょうか。前向きに捉えて励ましに使う事もあれば、迷信のような扱いをする事もあったりと時には180°意味が変わることすらあります。言い換えればそれだけ汎用性が高いとも言えます。
今回は私が体験した事から思いついた、新しい(?)この言葉に関する一つの視点をお伝えします。
緊急事態宣言が解除され仕事が再開された方も多いと思います。私も先日、一ヶ月半位ぶりの出勤でした。最後に出勤した時はまだコートを着るか迷うくらいだったのでかなり気候も変わっていましたね。
とは言えまだ5月だし…と油断していたのか出勤3日目位で軽く熱中症になってしまったんです。自宅待機前のまだ涼しい季節の時はペットボトルのお茶一本で1日過ごせてたので、そのペースでそこそこ暑いのに水分補給をしていなかったのも原因かもしれません。
それほど激しい症状では無かったし、次の日は休みなのでゆっくりしていれば治るだろうと特に病院とかには行かずに水分を多めに取る位でその日は帰宅しました。
普段だと帰った後もちょっとブログのネタ出しとか副業の軽い作業とかをするのですが、少し気分が悪いためそういうものも億劫になってしまいだらだらとスマホを弄っていました。そこでふと気付いたんです。
TwitterのTLが荒れている
何か大きな事件があった訳では無いんです。前向きな事を呟いている人も居れば愚痴っている人もいるTwitterなんて基本いつも荒れてるんです(笑)
多分Twitterの画面を開いて見える物にはそんなに大きな変化は無かったと思います。言い換えるとこうです。
Twitterからの悪い情報を受け流せなくなっている
無意識で拾う情報が悪い物ばかりになってしまっていたんですね。以前書いた人間の認識はテキトーであるという記事にも書きましたが、人間は無意識の内に入ってくる情報を取捨選択しています。プラスに働く時は目的達成の為に必要な事を拾うんですが、マイナスに働く時は自己防衛の観点から違和感や悪い点に目を向けがちです。
人間が動物の様な生活をしていた頃を想像してみると分かりやすいでしょう。そして怪我や病気になってしまい迫りくる脅威に対抗する力がない時は、より早く小さくても脅威の予兆を察知し逃げるなり未然に防ぐ必要が出てくるので悪いことに対して敏感になるのです。
つまり熱中症で身体が弱っていたため、Twitterを見ていても悪いことにばかり気を取られていたということです。因みにリンクを貼った記事を読んだ方は気付いたかもしれませんが、だらだらとスマホをいじるというかつての悪癖が復活しつつもあったりしました。
実はこの状況は気付いて脱しようとしないとどんどん悪いスパイラルに嵌ってしまいます。
闘争か逃走かという本能的な反応があります。人は何か強烈なストレスが掛かった時に、その場を戦って打破するか逃げてストレスから離れるかいずれかの行動を取ろうとします。そのための運動機能等に必要な器官への血流を増やしたり、逆に直ちに使わない器官の機能を制限したりするのです。
動物時代にはストレスの元が基本的には死に繋がる一過性のものであることが多く、原因を断つ事や逃げることは比較的簡単でした。しかし現代はそうは行きません。ストレスの元が人間関係のもつれや仕事上の直ぐには状況を変えられないものなど、すぐに取り除けるものではなくなってきているのです。
闘争か逃走かの反応は裏を返せば戦闘か逃避に使わない器官が弱まるということなので長期的に見ると免疫や恒常性に問題が起こります。
どちらが先になるかは状況によって変わりますが仮に今回の私のように体調不良から始まったと仮定すると、
体調不良→悪いことに対するアンテナが強化→ストレスを受ける→恒常性が弱まる→体調が悪化→悪いことに対するアンテナが強化→以下ループ
となってしまうわけですね。
このループの開始が仕事のストレスであることも当然あります。なかなかこのループに陥ってしまう人は多いのではないでしょうか。
心と身体の関係は思ったよりも密接です。この認識は大切にしてください。何かやたらと世の中に不満が溜まる。ぼんやりとした身体のダルさがいつまでも抜けない。そういった事があった場合はメンタルか身体か意識を向けていない方の原因も探し、簡単に取り除けそうな原因に先にアプローチするなど、総合的な対処が出来るようになります。