今日の鼻歌(原付走行中)
君という花/ASIAN KUNG-FU GENERATION
退屈だったので、あてもなく原付を走らせた。梅雨もそろそろ明けるだろうという晴れ間、じめじめした部屋に籠っていても気分にまでカビが生えそうで。
ドラッグストアで缶コーヒー買って、なんてケチケチしたことは考えず、先ずはカフェへ寄ってさっぱりと喉を潤そう。そんで読みかけの文庫本のしおりの位置を少し先へと進めよう。それから、山のふもとや高速の下や新しい道路や川べりや知らない住宅地や飛行場や船着き場や古い町並みや歩き慣れた道や、とにかく思いつくままTシャツにバタバタ風をくぐらせながら走ろう。
誰が乗ってても同じような服装+外付けスピーカーでまき散らす歌謡ヒップホップのビッグスクーターに追い越され、僕は時速35キロ位で爆音のこの鼻歌を向かい風に叩き付ける。
まあ機会があったら聴きたいな、程度の思い入れしかなかったこのバンド。たまたま無料ダウンロード出来たこの曲は最近の脳内ヘヴィーローテーション。なんという歌いづらい歌詞ののせかただ。“何気なく何となく進むよ”だと思ったら“進む淀みあるストーリー”と続くとは、気を抜けないメロディラインだ。
本当のことを言うと、この歌の歌詞がどういう状況でどういう感情を歌い上げているのか、実はよく解っていない。なんとなくは解るような気もするのだが、今ひとつピンと来ない。ヘルメット載っけた頭で前から後ろに流れていくあらゆる景色を重ねながら考えたりしたけれど、うまく思い浮かばない。
うっすらと感じることはある。でも、共感できたとしても共鳴はできそうにない。
こんな感じでちょろちょろと原付を走らせ回って、ちょっとした冒険気分を味わったりしてんのは10年前と何にも変わっていない。けれどももしも10年前の自分がこの歌を聴いたならあっさりと、歌の奥底の感情と自分の感情を重ね合わせて震わせることが出来ただろうにと思う。
素敵な曲だと僕は思う。でも、もう同時代性という魔法は僕には効かなくなっているのだろう。この歌に込められているみずみずしい感性なんてところは、もうとっくに走り抜けてしまったのだろう。
大人になることと老け込むことが違うことであるように、子供の心を持ち続けることと子供じみていることは違う。この原付が年季の入ったスクーターに見えるかポンコツに見えるか、このTシャツやジーンズやスニーカーが味わいある古着に見えるか着古しに見えるかは、僕自身の振る舞いにかかっている。ギターロックを鼻ずさむのが心の震えなのか只の若作りなのかは、僕自身の感性にかかっている。
間違いなく心のどこかに埋もれているはずなんだ、この歌と間違いなく感応する弦が。リラックスして探し出せたら、きちんと手入れして改めて聴き直すことにしよう。そん時にはひと世代上ならではの深みもさり気なく加えて鼻ずさめる奴になっていたい。
君という花/ASIAN KUNG-FU GENERATION
退屈だったので、あてもなく原付を走らせた。梅雨もそろそろ明けるだろうという晴れ間、じめじめした部屋に籠っていても気分にまでカビが生えそうで。
ドラッグストアで缶コーヒー買って、なんてケチケチしたことは考えず、先ずはカフェへ寄ってさっぱりと喉を潤そう。そんで読みかけの文庫本のしおりの位置を少し先へと進めよう。それから、山のふもとや高速の下や新しい道路や川べりや知らない住宅地や飛行場や船着き場や古い町並みや歩き慣れた道や、とにかく思いつくままTシャツにバタバタ風をくぐらせながら走ろう。
誰が乗ってても同じような服装+外付けスピーカーでまき散らす歌謡ヒップホップのビッグスクーターに追い越され、僕は時速35キロ位で爆音のこの鼻歌を向かい風に叩き付ける。
まあ機会があったら聴きたいな、程度の思い入れしかなかったこのバンド。たまたま無料ダウンロード出来たこの曲は最近の脳内ヘヴィーローテーション。なんという歌いづらい歌詞ののせかただ。“何気なく何となく進むよ”だと思ったら“進む淀みあるストーリー”と続くとは、気を抜けないメロディラインだ。
本当のことを言うと、この歌の歌詞がどういう状況でどういう感情を歌い上げているのか、実はよく解っていない。なんとなくは解るような気もするのだが、今ひとつピンと来ない。ヘルメット載っけた頭で前から後ろに流れていくあらゆる景色を重ねながら考えたりしたけれど、うまく思い浮かばない。
うっすらと感じることはある。でも、共感できたとしても共鳴はできそうにない。
こんな感じでちょろちょろと原付を走らせ回って、ちょっとした冒険気分を味わったりしてんのは10年前と何にも変わっていない。けれどももしも10年前の自分がこの歌を聴いたならあっさりと、歌の奥底の感情と自分の感情を重ね合わせて震わせることが出来ただろうにと思う。
素敵な曲だと僕は思う。でも、もう同時代性という魔法は僕には効かなくなっているのだろう。この歌に込められているみずみずしい感性なんてところは、もうとっくに走り抜けてしまったのだろう。
大人になることと老け込むことが違うことであるように、子供の心を持ち続けることと子供じみていることは違う。この原付が年季の入ったスクーターに見えるかポンコツに見えるか、このTシャツやジーンズやスニーカーが味わいある古着に見えるか着古しに見えるかは、僕自身の振る舞いにかかっている。ギターロックを鼻ずさむのが心の震えなのか只の若作りなのかは、僕自身の感性にかかっている。
間違いなく心のどこかに埋もれているはずなんだ、この歌と間違いなく感応する弦が。リラックスして探し出せたら、きちんと手入れして改めて聴き直すことにしよう。そん時にはひと世代上ならではの深みもさり気なく加えて鼻ずさめる奴になっていたい。