最近の音楽、ドラムに対する考えまとめ | umbrella 将のブログ
最近はプレイヤーとしてライブに臨むにあたり「聞く事」を最優先してライブに臨む試みをしていました。
その経験と考察をまとめたいと思います。

まずはっきりしたのが「実音を聞いている訳ではない」という事ですね。
じゃあ何を聞いているのか。プレイヤーとしての経験がある人じゃないとわかりにくいかもしれませんが、答えとしては「フィールを聞いている」なんですよね。
その瞬間、僕以外のメンバーがどんなフィーリングで演奏しているのか、曲自体のフィールはどうなのか、そのフィールの上で自分は(ドラムは)どう在るのか。

単純な話、実音聞いてからの判断だと自分がその瞬間に対応するのに間に合わないんですよ。思考で音楽をしていると考えばかりが遅れ、考えが遅れれば自分が出す実音が遅れていく。
だから、簡単な言葉で言えば直感。これが重要になるという結論に至っているわけです。
その直感を磨くには何をするべきか。単純に場数でしかないと思うんですよね。ライブとなれば情熱が燃えるのは常ですが、如何にいつもクールな部分を持ち合わせられるか、素直に音を受け取れる精神状態であれるか、が重要になるはずです。
この感覚は「音と会話をしている感覚」です。難しいですね。

この考えに至ったのは昨日のKEEL、Mix Speaker's,inc.、umbrellaスリーマンツアー「MAD MAN'S BLUES」4日目の名古屋ell.FITSALLではっきりしたのですが、正直言うと昨日はモニター環境が特殊で僕はいつもと同じように、という訳にはいかなかった。PAさんは乗り込みだったので、人が弄る要因としては概ね同じはずだったんですけどね。
具体例に言うと、ギター、ベース、ボーカル各々実音は聞こえるけどフィールが全く伝わってこない。「音が在る」というのはわかるけど、どんな風に鳴ってるのかわからない、といった所ですね。逆に2日前のOSAKA RUIDOは実音はほとんど聞こえてないけど、どんなフィールかは伝わってくる、という状況でした。

書いてて思うんですけど、不思議ですよねー。なんじゃそりゃって感じだと思うんですけど、確かにそういった力はあると思うんですよ。
ただ、あくまでこれも僕の主観の話。音楽の真理としてこのような要素もあるんじゃないか、という僕が出した一つの答えですね。

関係あるような無いような、な話ですけど最近興味があるテーマとしては「音の音程感が与える人間に対するイメージ」です。そしてそのイメージはある程度万人共通なのか。例えばセブンスのコード鳴らせば秋っぽい感じ 、とかね。
で、ある程度万人共通なのであればそれらのイメージはアプリオリな物であると言え、否であれば後天的な環境によって作られるもの、という事になる。
このイメージを研究したいなとか思っています。

そんな感じでした。

あ、ついでにチラシの裏にでも書くような内容を。

ツイッターではちょろっと書いたのですが、13日にdownyというバンドのライブを見に行きました。久しぶりにチケットを買ってライブを見に行きました。
それはそれは、もうとにかくカッコ良くて感動したのですが、何より思ったことはプレイヤーとして在る身でも「チケットを買ってライブを楽しもう」と思う心はとても大切だ、と思いました。
やっぱりお金払うってことは多かれ少なかれ覚悟が必要なんですよ。音楽の場合は時間を伴う芸術なので、お金と時間を割く必要がある。どちらも大切なものですよね。
チケットを買ってライブを見に行き「どんな景色を見せてくれるのかな」とソワソワしながらライブが始まった時に音と景色に身と心を委ねる。この感覚の楽しさというのは何事にも変えがたいもんだと思いました
。プレイヤーとして居るとこの感覚って忘れそうになるんですよね。

まぁ、そんなdowny超楽しかったという話でした。
4日しか経ってないけど、既にもう一回見たい気持ちになっている。第7作品集「無題」のリリースが待ち遠しいですね。