松本清張ワールド5 | 穴吹 圭のブログ

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日常の話、コミュニケーション、外国語習得法などを



中心に、小学生から大学生まで幅広く教育のあり方を



考えます。



教育についてはこれまでの経験を活かし、実際に役に



立つ内容を読者と一緒に掘り下げていきたいと思います。

        美醜観について


清張は調べることが生じると、徹底的に、しかも綿密に

調べなければ気の済まない性格だった。


 だから、前回女性美についてのいくつかの表現を上げ

たが、いろいろと調べた結果を本文に入れていることが

よくわかる。


 少し長くなるが、阿刀田高編集の『ガラスの城』(中央

公論社、松本清張小説セレクション9)から、その部分を

引用してみたい。


「いったい、美とはなんであるか。醜とはなんであろうか。



 わたしは美に関するさまざまな本をよんだ。美学も、

哲学も。……それから、いわゆる文化人の書いた教養

書の中にもそれをさがした。



 しかし、決定的にわたしの心をなっとくさせるものはな

かった。



 結局、どの本にも美醜の関係はきわめてまわりくどい

あいまいな記述しかなかった。ひどい書になると、美を

最上の価値におくと同時に、醜にたいしては精神的な

宥和(ゆうわ)をこころみている。たぶん、著者は、読者

の中に美しくない女のいることを意識したからかもしれ

ない。言葉は最高に思想的であり、美学的であり、哲

学的でだが、ただよむ者は抽象的な言葉の迷路にふみ

こむだけであった。



 結局、美にたいして醜は対立するものであり、美は

幸福な雰囲気にとりまかれている。これにたしし、醜は

たえず不幸な中に孤立し、自分自身からもつきはなされ

てうづくまっている、-としかおもえない。



 ことに会社などどいう共同生活の中では、女性におけ

る美の優位は決定的であり、醜の劣勢も決定的である。



 なかには、美の白痴をわらい、醜に理性によって克と

うとする女がないでもない。たとえすぐれた教養をもち、

知識があっても、「醜」の蔑視はゆるぎようもない。



 現に、この小さな課内だけでも、見るがいい、的場郁

子や、村瀬百代の横には、仕事いがい、だれも寄りつ

こうとしないではないか。」


 …とまあ、こように書かれているが、ずいぶん辛らつ

な女性評となっており、清張の女性の美醜に対する考

えがわかって興味深い。


 清張は好奇心が旺盛だったのであろうか、なにかに

興味をもつと、自分が納得できるまで調べたようだ。


 その結果、専門家が読んでも、疑問が起きないよう

に配慮して書いていたことが知られる。


 かの司馬遼太郎も何か調べることがあると、神田の

古本屋に出かけ、ダンボールに一杯になるほど本を

買い込んで帰ったという話が残っている。


 このように作家と呼ばれる人たちは、何か共通する

ような「拘り」の精神をもっているのかもしれない。


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