そんなわけで、大雨警報と強風波浪警報が出ている中での四十九日の法要、納骨、
そして父の七回忌の法要もかねて、昨日強行しました。
新型コロナウイルス流行の為に、法事後の食事会は無し、兄の娘夫婦や義姉の娘や息子家族も欠席で、うちの夫婦と次男、兄、義姉の5人だけの参列で、
雨が激しくなってきたので納骨のお線香も親族を代表して私だけが行うという簡略ぶりでしたが、
まあ、やることはやったわけだし、余計な事を省略してよかったね、というのが正直なところです。
で、その後、兄と義姉には我が家に来てもらい、妻が用意してくれたお弁当を食べた後、遺産分割の話を切り出しました。
正直な話、長兄が他界して、私が家業を継いだ後に父と築いてきた財産です。父が他界したときに財産分与をせずに全額母の所有としたので、つまりは私と父と母が築いてきた財産のはずです。
私が家を継いでからは、父の病気や過労による衰えのサポートも、母の介護も全部私と妻でやってきたのに、そういうのは相続法では無視されるのですよね。
それでも、やはり天に文句を言っても仕方ありません。
葬儀の日の夜に、兄から「遺産相続はいつ話す?」と言ってきたので、
「そういう話は四十九日までは憚るべきだと思うので、四十九日過ぎてからにしよう」
と釘を刺して、その間私としても、言えることは言おうと準備してきました。
まずは、財産の確定をするために、各金融機関で、他界した日付の残高証明を出してもらいました。
そして今住んでいるこの家は私と母でお金を出し合って建てたので、区役所で家屋の評価価値と分割割合の記された書類を貰ってきました。
あとは、母の財産管理をするようになってからずっと付けてきた金銭出納帳と預金出納帳をエクセルで清書して二人に見せ、財産の報告をしたうえで、話し始めました・・・・・・・・・。
法律では被相続人の介護や世話をしてきたことは何の抗弁権もありませんが「寄与分」という言葉はあります。被相続人がこれまで生きてきたこと、財産を作ったことに寄与したことを金銭的に表すものです。がこの話もさせてもらいました。
幸いにもお二人とも異論はないとのことで、私が示した分割案で通りそうですが、あえて、今月いっぱいの期限を定めて、両方の家族に相談をする時間をとりました。「いま決めてくれ」というのはセールスマンの常套句ですが、とても不公正な言葉だと思っています。
こちらとしても最大限の誠意を見せながら、言うことは言ったつもりです。
遺産相続で兄弟の縁を切られるような話は、幾らも聞いています。
来年の一周忌、再来年の三周忌にもみんな揃って来てもらえないと、母も浮かばれないかと思ったので、これでいいと思ってます。
・・・・・・・と、とて~~も疲れる話が終わり、お二人を見送ってからはしばし放心状態!!
しか~~し、その間にも奥さんは手作りマスクを制作中。
今度はバンダナ生地で作ってくれたのです。
雨が上がったので、奥さんと二人で三殿台まで山登り散歩をして、
夜は行きつけのピッツアリア・マッサのテイクアウトメニューでご苦労さん会でした。