父の話を転載します。 | あなぐまの下町質屋ブログ

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横浜の下町、弘明寺で創業65年の質屋を継いでいる
「あなぐま」です。
『質屋ってどんな人がやってるの?』という疑問にお答えするため、日々の業務や日常、趣味、質屋の裏側、クルマやバイクの話題を書き綴ります。
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この記事は2009年9月15日に書いたものを転載しています。


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皆さま、横須賀という町にいらした事はあるでしょうか?

横浜の南、三浦半島の根元に位置する横須賀は、明治の昔から軍港を中心とした海軍の町として栄え、今でも海上自衛隊とアメリカ海軍の基地があり、そのアメリカ海軍基地から京浜急行横須賀中央駅まで延びる商店街と、国道16号線沿いが横須賀市の中心部になっています。

山口百恵の「横須賀ストーリー」という歌に、
『 ♪急な 坂道 駆け登ったら 今も海が見えるでしょうか ここは横須賀。』という歌詞がありますが、
町の中心部より後方は全て小高い山になっていて、その山の中に道が通り多くの住宅地が点在しているというのが横須賀の姿だと思います。

昭和20年、終戦とともに仕事が無くなった父は、いったん実家のある秦野にもどり、そこから厚木基地などの日雇いの仕事をこなしていたそうです。
父の話では、終戦で武装解除になった厚木飛行場では多くのゼロ戦を地中に埋めたそうです。
今でもどこにゼロ戦を埋めたかは覚えてるとのことですが、今も地中にあるのでしょうか?

そのうち先に横須賀で質屋を始めた兄を頼って、しばらく兄の店を手伝った後、
横須賀市街地から後方の山の上にある上町という町にある質屋の店長のような役を任されていたそうです。ちなみに山口百恵の出身地不入斗(いりやまず)は、ここの隣です。

冒頭の写真は、この時、任されていた質屋の質札で、一部英語で書かれていますが、お客様のほとんどはネイビーと呼ばれるアメリカ海軍の水兵で、聖徳寺坂から軍艦が入港するのが見えると、その日の午後にはネイビー達が店の前にごった返したと聞いています。
父は片言の英語と身振り手振りで会話をしながら商売をしていたそうです。

そして、ここで母と結婚し、長男を設け順風漫歩の生活が始まる予定だったのですが、やはり雇われ店長の悲しさで、店が繁盛して来たところで、店のオーナーから謂れの無い疑いを掛けられ、憤慨して辞めることにしたそうです。父が29歳の時ですから昭和29年、吉田内閣が総辞職して鳩山一郎内閣が成立した年ですね。

・・・そんなわけで、父と母にとって横須賀は青春時代を過ごした思い出深い町のようです。