ALWAYS番外編、CAME FROM YOKOSUKA | あなぐまの下町質屋ブログ

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横浜の下町、弘明寺で創業65年の質屋を継いでいる
「あなぐま」です。
『質屋ってどんな人がやってるの?』という疑問にお答えするため、日々の業務や日常、趣味、質屋の裏側、クルマやバイクの話題を書き綴ります。
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本日は予定を変更しまして、昨日のふとっぱらさんのコメントにお答えして、
私と横須賀とのかかわりを書かせていただきます。

 

私と同い年でもある山口百恵さんの、LPの収録曲に「CAME FROM YOKOSUKA」という
歌がありました。

 

 

「♪横須賀から~汐入、追浜、金沢八景、金沢文庫~♪…
       あか~い電車は白い線~♪I'm come from YOKOSUKA あなたに会いにきた~♪」

 

 

…という鉄ちゃんなら、泣いて喜ぶような歌ですが、歌詞はもちろん横須賀出身の阿木耀子さん、
これをやはり横須賀出身の山口百恵が歌うと、ゾクゾクするほどかっこいいんです。
 何故かって?、それはとっても美しいこの二人が、横須賀の持つ暗さを背負っているからです。

 

 

で、横須賀に行くときはこの歌の逆をたどって京浜急行に乗ります。
現在なら快速特急に乗り換えるので追浜、汐入は止まりませんが、弘明寺から30分ぐらいで横須賀中央にたどり着きます。この横須賀中央の次の駅、現在「県立大学」という名前の駅に
私の叔父が住み、やはり「岩田質店」という質屋をやっています。

 

 

この駅はつい5年ぐらい前までは「京急・安浦」という駅で、実際このへんの地名は横須賀市安浦町です。
ここは昔、赤線(政府公認売春街)があった地域で、昭和33年の売春禁止法施行後もヤミで営業を続ける宿も多く、ポン引きと呼ばれる客引きのおばあちゃんと警察官の追っかけっこが続いた町です。
それ故に一杯飲み屋も多く、質屋も多い町で、現在でも5店舗が点在しています。

 

 

こう書くと自分のブログの趣旨に反することですが、質屋が社会の暗い部分を背負ってきたことは、
隠しようもない事実です。

 

 

それが平成になって安浦沖の港を埋め立て、新しいマンションと大型スーパー、
そして神奈川県立保険福祉大学が立ち並ぶ平成町という町が出来上がり、
かつての暗さは無くなってしまいました。

 

 

その、安浦岩田質店の店主でもある叔父は、普段はとても愛想がいいとは言えない人間ですが、
私には優しく、昔から可愛がってくれています。私が親戚中で一番年下だったことや、
私の名前が叔父の名の一字を取っていることも理由にあるのでしょうが、
昔からお年玉をもらうときは、私だけに二つくれることもあったくらいで、
私が成人してからも、やたらと私の話を聞きたがり、微笑みながら頷いて聞いてくれます。

 

 

その叔父も今では80歳を越えています。穏やかな笑顔の裏には基地のネイビーや売春婦達が闊歩した
横須賀の暗さを背負ってきているものと思います。

 

 

 

さて、横須賀にクルマで行くとなると、横浜横須賀道路という距離あたりの値段が日本一高い有料道路を
走らなければなりません。
ここの横須賀インターから、本町山中有料道路を5分ほど走ると眼前に横須賀の街が見えてきます。

 

 

 

ここを夜に走ると、眼下の横須賀港に停泊する空母や潜水艦、フリゲート鑑などが、防衛のために
ライトアップされて、もの凄い綺麗です。横浜や神戸なんか足下にも及ばないほどの美しさなんです。
道路はこの宝石箱をばらまいたような煌びやかな横須賀港の真ん前に、着陸するように降りて行きます。

 

 

もし、女性の方が男性の運転する車の助手席でこの夜景を見れば、
「私、今夜、この男のものになる。」
 と覚悟せざるおえないほどの美しさです。    (官能小説の読み過ぎ)

 

 

まあとにかく、夜景に酔いしれた女性を乗せたクルマは「ホテルトリニティー横須賀」というホテルの
前に着陸します。ここは以前の横須賀プリンスホテルで、
私もプリンスホテルの頃に行ったことがあるのですが、最上階にあった「トップ・オブ・ヨコスカ」という
BARには「ヨコスカストーリー」というカクテルがありました。

 

 

とっても美味しいジンベースのカクテルだったんですが、量が少ないんです。
これを注文するお客さんは、出されたカクテルを見て必ず言うそうです。

 

 

「…これっきりですか?」

 

 

 

ALWAYS続三丁目の質屋さん.11「バブルの夜明け」に続く。