過ぎて行く時間の中で思うこと | セーラの日記

セーラの日記

まっすぐ前を向いて 2匹の猫と共に

友人のお母さんが亡くなった。
長い闘病の間 遠距離介護で頑張っていた。

どんな状態でも そこに居ててくれるだけで頑張れると言っていたのに、 寂しくなるだろうな…悲しいだろうな…と思っても 本当に<実感>というのはパーソナルなものです。

自分の悲しみでは毎日でも泣くのに 人の悲しみには痛みは感じない。
ただ 母を亡くした後の自分の悲しみを思い出すだけ。

葬儀場は225キロ先。 お花か弔電でも済む。
でも、行こうと決めた。
私が悲しかった時に 彼女は 一緒にオットの死を悼んでくれた。
その彼女が悲しんでいる時は 傍に居ててあげたい。

久々に まだ暗いうちに起きて まずは実家に行き ネコを1匹放り込んで 雨戸を開け 2匹分のフードを置き 再び 高速に乗った。

GWだ。 既に 渋滞は始まっている。

しかし 新しく出来た高速はスムーズで予定通りに目的地に着くことが出来た。

葬儀は1時間ほどだから、ついでというのは余り良くないけど 折角のチャンスは活かさねば。

帰り道の途中に住む友人に電話して会う事にした。

前に一度行った事があった藤の花のトンネル。
時期は過ぎていたけれど 花の残り香が漂う。
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途中の<道の駅>で喪服を脱いだ。
ついでに 土地の名産品を買った。

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友人は 今頃…と思う。
悲しみも苦しみも 喜びも 人それぞれの事。

お別れのクラクションを長く引いて霊柩車が出てしまったら 他人は それっきり 別の感情に戻る。

自分が辛かった時 そういうのを見ると 悲しさと相手の鈍感さに腹がたつという事を感じたけれど、逆になれば 自分もまた同じ。

人はそれぞれ違うのだという事を 身をもって感じた1日です。
日帰りの400キロ。 さすがに今日は何だか疲れている。