
廊下の向こうから 白い制服姿の下士官が 靴音も高く現れそうです。
ここは 広島湾に浮かぶ 江田島。 昔の<海軍兵学校>。
今は 海上自衛隊の教育訓練学校です。
かの<坂の上の雲>の撮影なども行われたそうです。
友だちと広島へ1泊の旅に行くことが決まった時、前から行きたかった場所が浮かんできました。
父がいつも話していた江田島。 別の友人が 『潜水艦が見れるよ』と話していた呉。 台風15号の影響もさほど無く 念願の場所を見てきました。
これは 呉の<大和ミュージアム>の向かい側にある 本物の潜水艦を見学出来る<鉄のくじら=海上自衛隊呉史料館>です。
中に入って ベッドに寝たり潜望鏡で周囲の景色を見たり出来ます。

ここで 潜水艦の中を見せて貰った後は 近くの港へ行き、生の潜水艦を見てきました。

<海猿>の撮影なんかもここで行われたそうです。
江田島と呉では戦争の史料を沢山 見ることが出来ました。
特に衝撃を受けたのは 潜水艦の訓練中に事故で亡くなった<佐久間艇長>の直筆の遺書メモがあったことでした。
もっと年配の人かと思っていたのが 31歳の若い指揮官だったことも驚きでした。
特攻に飛び立っていく <敷島隊>のビデオには涙がこぼれました。
人間魚雷<回天>・・・やけっぱちの精神論の中でどれほどの優秀な人材が失われたことか。
父は海軍でしたが、 終戦前には 爆弾を抱いて戦車の下に飛び込む特攻の要員だったそうです。
あの戦車のキャタピラの下に身を投げると考えるだけで背筋が寒くなります。
任務に出る時に 上官に言われたそうです。
『最初に戦車が来たら任務を遂行せよ。 歩兵が来たなら生きて戻れ。』と。
父は生きて戻りました。 その時の事を 父は何度も話してくれました。
人の運命は 紙一重です。
戦艦大和には3000人を超える要員がいて 生き残ったのは1割にもみたなかったそうです。
機会があれば またユックリ 行ってみたいと思います。
その時は 海軍カレーならぬ <戦艦霧島のカツ定食>を食べてみようかな^^
