自分が年を重ねるということは 周りも同時に高齢化して 病気やダレソレが亡くなったとかいう話題が 多くなります。
昨年 父が入院し 我が家が必死になっていた頃 近くに住む叔母が倒れました。
幸い 命は取りとめたものの 3ヶ月たつ今でも意識が戻らず いわゆる<植物状態>になってしまいました。
難しいといわれた頭の出血を止める手術も終り、いろいろな管が身体から取り除かれ
後は 意識さえ戻ってくれれば・・・となった先日、病院からの話に 家族は呆然としました。
叔母は<透析>を受けていました。 意識が無くても 同時進行で透析を受けていたワケです。
その透析を これ以上続けられないので<止めます>というのが病院からの話でした。
普通 意識が戻るとしたら2~3ヶ月で それで戻らない場合は 回復の見込みが極めて少ないということで そういう患者には当病院では 透析は施せませんと。
透析を止めれば 程なくして 死が訪れるでしょう。 では、他の病院を探せということでしょうか?????
倒れる以前から透析を受けていた病院が 受け入れることが出来ると連絡してきましたが、その費用は 月々 叔父夫婦の年金を上回る額でした。
これでは残された家族の生活が 成り立ちません。
周りの者の胸には <安楽死やむを得ず・・・・>という思いもよぎりました。
しかし、ベッドに横たわる60を少し過ぎたばかりの叔母は 眠っているのとなんら変わりません。
身体は温かく 時々 目を開けます。何も見えていないようですが。
夢うつつのように 遠い意識の中で 我々の会話を聞いているような気がします。
幸い 病院側の手配で 受け入れてくれる所が見つかり 先日 転院しました。
費用も何とかいけそうですが、叔父にとって苦しい状態が続くことは 間違いありません。
今度の病院は 3ヶ月で出されることは無いようです。
しかし・・・これが いつまで続くのか。誰にも解りません。
毎日 自転車で1時間掛けて 病院に通っていた叔父は 『出来るだけ長生きさせてやりたい』と言いました。
<千の恩>という本があるそうです。
陶芸家の作者が 認知症にかかったお母さんを10年間介護したことをつづった絵本仕立ての本だそうです。
その中で 見送った後の物足りなさを 次のように書いているそうです。
『人はこの世にいてこそ。 その笑顔、その言葉、そのまなざし、その温みまで <この世にいてこそ>です。
姿が在るということを、重く受け止めることが どれだけ大切か思い知らされました。』・・・・と。