「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれないはかない桜のようです。夜に嵐が吹くかもしれないのに)
松若丸(後の親鸞聖人)
この歌だけは 小さい頃から 父にいつも言われ続けた。
明日の時間割を見て 教科書を準備しておけば良いものを、いつも学校へ行く前になってランドセルに半泣きで入れていたものだ。
学校から帰ったらすぐに弁当箱を出して洗っておけば良いものを、朝 母に言われてからカバンから出して 『何度言ったら解るの!』と叱られた。
残して持って帰った給食のパンもさっさと出さないからカバンの底でカンカンになっていた。
とかく、<あらかじめ>とか<前もって>というのが苦手な子供だったが、この性格は未だに治らない。
仕事であれ何であれ、ギリギリにならないとエンジンがかからない。
もうこれ以上はヤバイ!というところまで来て猛ダッシュ!
このスリルと緊張感が<決断>と<実行>のみなもと。
友人達から進呈された称号(?)が <ギリギリセーフの女>というまさに言い得て妙な冠だった。
母が突然ダウンしたことは まさしく〔夜半の嵐〕
いろいろな事が中断しまくっている。
父の声が聴こえるようだ。
『だから、前もってやっておけと言うたやろ。
明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは