『お母さん、もういらない』
と本当に思ったのです。
一見ひどく聞こえるかもしれませんが、
これは、本当の意味での
『お母さんからの卒業』です。
また記事は分けて書きますが、
私、今までお母さんに本音を言ってこなかった。
お母さんを傷つけるんじゃないかと思って
本心をぶつける事をしてこなかった。
それに気づいたのです。 やっと。
『お母さんの面倒はもう見れない!』
という本心をもうごまかして生きれない事を。
子供の時から今まで
私の気持ちをくみ取ることをしてくれなかったお母さんに、
わたしは優しくてものわかりのいい子でずっと接してきた。
そのお母さんが歳老いてきて
今度は寂しさや不安を訴えるようになってきた。
多分、それは母の本心。
それにまた応えようとする自分と
もう限界だという自分がでてきた。
でもやはり限界。
無理な話。
わたしの気持ちを雑に 扱った人に対し、
優しくなんてむり。
そんな不自然な事出来ない、
というか本音=傷つける が違うんじゃないか? と思った。
本音を言えない家族の方がおかしい。
本音は言えばいい。
それでどうなろうかは もう私の知った事ではない。
というか、
そんなんでどうこうもならないんじゃないかとも思えてきた。
私が逃げてたところなんだよね、そこは。
『お母さん、もう自分の人生を生きてください』
から
『お母さん、もうわたしの人生を生きます』
に変わった。
親は鏡。
本当は
私がお母さんに面倒をみてもらいたかっただけ。
優しくしてもらいたかっただけ。
気持ちを汲み取って欲しかっただけ。
寂しくない?
身体は大丈夫?
そうやって気にかけてもらいたかった。
心配してもらいたかった。
頼る家族が欲しかった。
でもね、これ
全部そんな自分の気持ちをわかってあげなく行動してた自分にわかって欲しかった。
ということにはじめて気づいた。
結末が、お母さんでもなかったって事だね。びっくり。
今生きている自分が、
過去の悲しい気持ちをひきづって、
そのまま行動して生きてたことが
解消されない思いだったことに気づいた。
そう思ったら、
私は自分のために生きよう。
自分の大切なものを大事にして生きよう。
そう決めれた。
感情的にみれば、お母さん許せない。
もあったけど、
総合的にみると
お母さんに感謝かもしれない。
これも順番があって至ることだと思うから、無理に思わなくてもいいと思う。
焦らなくても。
今の自分、
今の感情に寄り沿っていけば、
自然にこういう日がくるんだと思った。
私は辛いところからのスタートだったから
『お母さんもういらない』
からの
本当の意味での自立のスタートになるけれど
それも人それぞれ。
『お母さんありがとう』
から自立のスタートをきる人もいる。
そんなわたしが今日、
『神様との約束』
を観てきます。
そして明日から
新しい職場につく。
ひとつの完成と
新たなるはじまりが始まる感じ。
これもいいタイミングでこの日を迎えるもんだな、、と思いました。