「カウンセラーさんって完璧?」
だと思いますか?
私は完璧ではないと思ってます。
完璧でなくてもいいとも思います。
なぜなら、カウンセラーさんも同じ人間だからです。
最初は
悩みから解放されたくて、
少しでも楽になりたくて、
解決の糸口が欲しくて、
と思っていたのが
いつの間にか、カウンセラーさん、
もしくはその類いに携わる方を
神様にしちゃうことってありませんか?
そんな私の経験話を少し書いてみますね。
私、今もそうなんですが、
恐怖心を持ち併せて生きてる人なんです。
それで、ついつい人に合わせてしまう行動を無意識にしてしまうことがあるんです。
それなりに自分と向き合い自分を大事に生きるということを覚えたわたしは、
世の中の優しさってものに触れ、
自分を解放する心地よさを少し覚えたのだけれど。
なんとなく恐怖心がずーっと心の奥底に残っていたの。
人は優しいのに、
どこか恐怖心をもって人に接してしまう自分の行動にギャップを感じなんか嫌だった。
意識の自分はなんでこんな行動がいつまでも出るのかがわからない。
とゆうか、
なんで世界が優しい事をいつまでたってもわからないのか?自分!
と少し責める事をしていた。
ある日、
それを問題視したわたしは、
それを解決したくて、あるAさんのセッションを受けたのです。
とても情熱的で信頼できるカウンセラーさんでした。
今でも変わらずに。
そして、私の幸せを願ってたくさんのサポートをしてくれた。
でもね、
いつの間にか私は
その先生に頼りきってしまってた気がする。
まさに自分の人生の答えを先生に見つけてもらうかのように、他人軸の生き方に自分が成り下がっていた。
感情に寄り添うことで、
どんどん自分のブロックが外れていく日々。
感情も五感も研ぎ澄まされていった。
でも、私の恐怖心はマックスになり、
一時家からも出られなくなった。
五感も音や匂いに異常に敏感になり、
研ぎ澄まされる反面、過敏になり、
味覚障害や、口の中が絶えず荒れていた感じに。
胃痛や胃腸が荒れてしまい、身体の反応は半端なかった。
それでも私は
私の思い込みなんだから、外を認識させれば少しは変化あるかも…
と無理に外に出ようとするならば
身体が硬直して、
グワンと上半身の左片側が内側に萎縮するのを目のあたりにした時はビックリした。
団子虫が危機を感じると丸まるのと同じで、私の身体も意識でコントロールできるものではないんだ、と無意識の凄さをその時にみた。
そこで気づけはいいのだけれど(;^_^A
私はまだまだそのブロックを外そうとしていた。
なぜなら、そのブロックは私の逃げようとする弱さからきてると思い込んでいたからだ。
感情は日々すごい勢いで変わっていく。
私もその都度の自分に身を任せて過ごしていた。
そこから得たものもたくさんあったけれど、身体をかなり張っていた。
そして
私の一番解決したいこの恐怖心が半端なくすごいから、カウンセラーAさんにもその事を何度も話していたと思う。
Aさんはその都度誠意を持って私に接してくれていた。
時に、
言葉を鵜呑みにするっていう意味ではないんだよ。と切々に語ってくれた。
ある日、仲の良い友達と食事をした。
けど、
私はこの恐怖心を感じきり、寄り添って
いく事が大事なんだと思い込んでいたから、必死にその状態を保とうと頑張った。
仲の良い友達の前なら大丈夫だと思った。
甘かった。
怖さに寄り添うどころか、
その場から早く逃げだしたかった。
帰り、駅のトイレで怖くて外に出られなくなった。
怖い怖い怖い!!!
と内で絶叫する自分は
完璧に頭と心が分離した感じだった。
私は私で生きれない!!
って心の中が絶叫して怖くて身体を抱えて震えていた。
もはや生命の危機を感じていた。
その時
自分を自分で生きれないって
もうダメじゃん…
って絶望感に一気に襲われ、生きる気力さえもがガクンと落ちかけた。
もういいや、
怖いままでいい…
だって私、怖い感情を客観的に観ながら
生きれないもん…
で、肩を落としながら電車で家に帰って
布団にもぐりこんで泣き寝入った。
翌朝も絶望感を引きずってた。
私どうなっちゃうんだろう…って思った。
でも、もう怖いまま、合わせてしまう生き方の選択肢しか残ってなかったから、
それでいいわ… と思った。
私は私で生きていこう。と
「だって前はそれで元気に生きれてたじゃん!」って自分に言い聞かせる反面、
やっぱりどこか「逃げた」という自分に対する罪悪感を感じていた。
あるセッションの時、
Aさんにその事を全部話した。
そしたら、
それもいいけれど
「もっと自分を嫌いになってしまうよ…」
と悲しそうに言われた。
それは私の中のトドメだった。
やっぱり私は逃げたのかな…