今日は何の日かというと云うまでもない、3.11 だ。

各地で 13年前の出来事と今年の正月に起きた震災を悼んでいる。

厄災の中で得られた教訓を忘れてはいけないと云うことだ。ある意味辛いだろうな、とも思う。

前にも書いたが 13年前の今日は外国にいた。そしてリアルタイムで流される映像 = 津波が陸地深くまで押し寄せて家屋やクルマを押し流している映像を見て、息苦しくなったことを思い出す。リアルな映像のインパクトを改めて感じたものだ。

 

さて、震災から復興へと云うことだが、報道を断片的に見ていると結構格差があるようだ。上手く行っているところもあれば、法令の壁に阻まれて思うように行っていないところも有るようで、それらはテレビなどで紹介されている。

被災者をどう救済するかは仕組みを考える側としてはかなり難しいところだろう。手落ちがあってもいけないし、詐欺になってもいけないのでどうしても保守的にならざるを得ないところがあるようだ。結果として十分な支援が受けられずに残念な思いをしている人たちもかなりいるようだ。

 

そもそも行政は被害に対してどのくらい支援すべきなのか、結構難しい問題である。

取りあえず破損したインフラは行政が 100% 支援すべきのように思うが、各戸の被害に対する支援はどこまでやるべきか議論があるところだろう。

極端な話、家が倒壊した人に対して行政が新しく家を建ててあげる、などというのはやり過ぎだろうというのは、なんとなくそう思う。だが何らか支援なしでは立ちゆかないのも事実なので、ある程度のところまではしないといけないだろう。

感じとしては自助努力で立ち直ろうとしている人に対しては、それをバックアップするというのは必要であろう。自助努力というのは「困っている!」というフラグを立てるだけでも良いかも知れない。それすらもしない人には、、、う~ん、見捨てるしかないのかな~、冷たい話だが。でも「何があっても生き抜くんだ!」という意思表示がなければ、支援することは難しいんだろうな。

 

行政が出来ることは予算的にも、人的にも限りがある。それをどのように振り分けていけば良いのか、大変な問題だと思う。行政の担当者は頑張って欲しい。同時に被災された方々も自助努力とそのアピールで少しでも早く立ち直って欲しいと願っている。

 

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