今日も乗用車がどこぞに突っ込むという事故が発生した。例によってアクセルとブレーキの踏み間違いという。なんか出会い頭的な事故、事件の発生頻度上がっているような気がするのは気のせいか。
で、こういった事故が起きる度に乗用車の自動運転に対する期待が高まるが、システムとしてはよりシンプルですでに実績があるはずのモノレールで自動運転が暴走?し逆走するという事故が起きた。関係者には結構ショッキングな出来事だろう。

モノレールの自動運転と乗用車の自動運転では素人の目からはかなりレベル差があるように感じる。自動運転電車に関する研究開発を行っている方々には申し訳ないが、当然後者の方が難易度が高いように思う。単純に考えれば検出や予測しなくてはいけない項目の種類が違う、というイメージだ。全車両が自動化されている(されていなくてはいけない)電車系と、自動化されているとは限らない乗用車や同じ道路を利用する自転車、歩行者がいる自動車系ではだいぶ話が違う。後者は支配戦略が絡むのでどんどんややこしくなる。

自動車事故の時いつも思っているのが、衝突防止のための自動ブレーキぐらいは展開されてもいいのではないか、ということなのだが、モノレールにその機能が入っていなかったように見えるのは気のせいか。確かに完全に自動化されていれば逆走など起こるはずもないので、衝突防止機能は不要なのかも知れない。だがそれでも入っていないといけないのではないかと思う。これ以上は推測に過ぎないので止めておくが。誤動作はあっても不思議はないという前提に立てば、衝突防止機能が作動してしかるべしと思う。すでに入っていてそれもダメでした、というのなら済みません。

自動云々に対してよく出てくるのが用語が AI である。人間が判断すべきことをより精度良く、より早く AI に判断させてよりよい結果を生み出させようという考え方だ。
モノレールの自動運転はもしかしたら AI という言葉で飾られていたのかも知れないが、if ~ then で代表される論理思考が取り込まれたシーケンス制御ではないかと思う。そういうのを第一世代 AI というらしい。第二世代 AI というのはここに膨大なデータベースが加わって知識に基づいた判断ということのようだ。そして今は Deep learning という云われている学習型 AI で第三世代に入るらしい。
囲碁や将棋を例に挙げると、第一次世代は「この手を指したら相手はこう来る。そこでこうすると有利になる」といった程度であり、第二世代になると過去の棋譜を参照しながら「この局面ではこう指した方の勝率が高い」といった判断を膨大なデータベースに基づいて判断する、という案配だ。ところが第三世代の学習型となると、自分自身で何度もシミュレーション対局をさせることで、確率的により有利な局面に導くという思考になっている。世界チャンピオンを負かしたアルファ囲碁はそういう形態のものらしい。いうなればカットアンドトライを繰り返すと云うことだ。

LTspice:「画蔵のことか?」

画蔵:「黙ってろ!」


さて自分の感覚では自動運転に関しては第三世代の学習型 AI は不向きな感がある。公道でカットアンドトライなどされてはたまったものではないし、シミュレーションで本当に現実に起きうることを想定できるのか疑問がある。やはり最後は人手が絡まないと無理があるような気がする。
医学の世界では症状に対する薬の処方に AI が使われていると聞いた。これは第二世代型であろう。これもカットアンドトライされたらかなわない。で、この活用のされ方の良いところは最後は医師が「なるほど。これならいけるかも」といった吟味をするための間があるということだ。
ところが自動運転での AI の活用は人間の吟味を待っていられない、というのがあって実は衝突防止さえも上手く機能するかどうか分からないと思う。

「このままだと子どもの列に突っ込んでしまう」という状況で、

・ブレーキを踏むと後ろの車に追突される。
・右にハンドルを切ると電柱にぶつかる。
・左にハンドルを切ると高齢者をはねてしまう。

さあどれを取りますか?いやいやそうならないように完全自動運転にすべきでしょう。だけど車を乗り回すのが好きな人は少なからずいて、その人達がどういう運転行動を取るか予測しきれるかどうか。自分はあまり期待していない。

シーケンス制御の話と自動運転と AI の話がごっちゃになったとりとめのない書き込みになってしまった。
もう少し頭を整理しないといけないようだ。というかこの分野の素人があれこれ云っても何の役にも立たないかも知れない。
いやいや書くことで学習して精度上げるという第三世代的な、、、。いや独り言です。

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