自分の年齢がそうなっているからだろうが、年明けから昔いた会社の仲間の定年退職者壮行会、OB 会などが相次いで行われた。こちらはその会社 9 年前に退職してしまっているが、そういう場で旧交を温めるのは非常にうれしい。何よりも声が掛かるのがうれしいのだ。
私も私の年齢に近い仲間達もいわゆる役職定年というのを迎えていて、会社でも役職は外れている人が多い。あまり詳しくは分からないのだが、別会社に出向して役職はそのまま、出向元での給与は抑えられるとか、その職場にとどまって本当に役職が外れて一社員として働き続けるとか色々オプションがあるらしい。その他に結構鬼畜な制度だと思うのが雇用延長制度ってやつのようで、これも正確には知らないので理解に誤りがあったら申し訳ないが、60 歳で職場を去るのではなく 65 歳までは働ける、ただしそのオプション選択は 55 歳時点で決めなくてはいけなくて、55 歳以降の総給与を 60 歳までで働いてもらうのか、65 歳まで働いてもらうのかを選択するようなものらしい。
つまり生涯収入は変わらないが、65 歳までいられるということで何か非常に損をしているように感じるのは私だけか。ただ確かに 60 歳でまだ体は働けるのに家に引きこもってしまっては精神衛生上悪いという面もあるだろうから、単純な金銭的損得勘定だけで判断するものではないだろう。
で、後輩の中には年齢相応に昇格している人も多く、結構な上位の責任あるポジションについている人もいる。良かった。あ、いや、もし私が会社に残っていたら当然のことながらもう役職は持っていないわけだから、後輩達の部下になっていたかも知れない。「おい、画蔵くん、それやっておいて!」などと指示されていたのかな。
もっとも今は派遣社員として今が 3 社目だが、やはり派遣先の意向、指示に従って行動しなくてはいけないので、年下から色々指示されたり教わったり、怒られたりしながらの会社生活なのでどっちがいいのか分かりませんけど。まあ自分はあまりそういったことは気にしないようにしていて、前にも書いたが自分の後工程が望んでいることをする、という仕事の基本概念に対して自分がそれを携われる環境にいることに感謝している。多少自尊心が傷つくこともないわけではないが。
それにしてもまだ学ばなくてはいけないことが多すぎる。もっと早くこのことに気が付いて可能なものはすべて身につけて応用して、何かを生み出す環境いられる時間を残せるようにすべきだった。あるいは今そういったものを生み出せるだけの器量を見つけるべきだったか。
同年代の仲間でも色々今後の身の振り方については、考えることが多いようだ。開発設計現場から離れてしまった人はもはや元に戻れず何か自分で事業を興すか、誰かと共同で始めるかなどが選択肢だろうし、現場から離れていなければ多少給与面の安さを我慢すれば仕事はないわけではないだろう。まあ派遣会社に行けば感じるが、多少レンタル商品、リース物品的な扱いを受けることを甘受するぐらいだろうか。
自分の実力が世の中で必要とされているレベルのどこにあるのか自分自身でも把握するのは難しい。さらにそれを初めて会う人に理解してもらうのはもっと難しい。自分がここのプログを書いている理由の一つとして、自分自身の把握と見る人へのプレゼンがあるわけだが、それがどんなもんじゃい、というのは時々もらえるコメントでしか分からない。資格などはその客観的パラメータだとは思うが、ないよりましということで、とりあえず取れるものはとって置いたがもう少し評価されるためには上の資格が必要なようである。
さて、持論としては技術者たるもの一匹狼になっても生きていくだけの「外から見えるスキル」は身につけるべきである、しかし本当に実力を把握してくれるのは一緒に長い間仕事をしている上司や同僚、後輩達である。
なので新しい可能性を求めて転職するのも悪くはないが、「外から見えるスキル」が無い状態でそれを考えるのはやめた方がいいだろう。「自分はエレクトロニクスのスペシャルです!」と連呼したって相手には伝わらないのである。
とりとめのない話になってしまった。読んでくれた方はとりあえず下のアイコンをクリックしておいて下さい。
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私も私の年齢に近い仲間達もいわゆる役職定年というのを迎えていて、会社でも役職は外れている人が多い。あまり詳しくは分からないのだが、別会社に出向して役職はそのまま、出向元での給与は抑えられるとか、その職場にとどまって本当に役職が外れて一社員として働き続けるとか色々オプションがあるらしい。その他に結構鬼畜な制度だと思うのが雇用延長制度ってやつのようで、これも正確には知らないので理解に誤りがあったら申し訳ないが、60 歳で職場を去るのではなく 65 歳までは働ける、ただしそのオプション選択は 55 歳時点で決めなくてはいけなくて、55 歳以降の総給与を 60 歳までで働いてもらうのか、65 歳まで働いてもらうのかを選択するようなものらしい。
つまり生涯収入は変わらないが、65 歳までいられるということで何か非常に損をしているように感じるのは私だけか。ただ確かに 60 歳でまだ体は働けるのに家に引きこもってしまっては精神衛生上悪いという面もあるだろうから、単純な金銭的損得勘定だけで判断するものではないだろう。
で、後輩の中には年齢相応に昇格している人も多く、結構な上位の責任あるポジションについている人もいる。良かった。あ、いや、もし私が会社に残っていたら当然のことながらもう役職は持っていないわけだから、後輩達の部下になっていたかも知れない。「おい、画蔵くん、それやっておいて!」などと指示されていたのかな。
もっとも今は派遣社員として今が 3 社目だが、やはり派遣先の意向、指示に従って行動しなくてはいけないので、年下から色々指示されたり教わったり、怒られたりしながらの会社生活なのでどっちがいいのか分かりませんけど。まあ自分はあまりそういったことは気にしないようにしていて、前にも書いたが自分の後工程が望んでいることをする、という仕事の基本概念に対して自分がそれを携われる環境にいることに感謝している。多少自尊心が傷つくこともないわけではないが。
それにしてもまだ学ばなくてはいけないことが多すぎる。もっと早くこのことに気が付いて可能なものはすべて身につけて応用して、何かを生み出す環境いられる時間を残せるようにすべきだった。あるいは今そういったものを生み出せるだけの器量を見つけるべきだったか。
同年代の仲間でも色々今後の身の振り方については、考えることが多いようだ。開発設計現場から離れてしまった人はもはや元に戻れず何か自分で事業を興すか、誰かと共同で始めるかなどが選択肢だろうし、現場から離れていなければ多少給与面の安さを我慢すれば仕事はないわけではないだろう。まあ派遣会社に行けば感じるが、多少レンタル商品、リース物品的な扱いを受けることを甘受するぐらいだろうか。
自分の実力が世の中で必要とされているレベルのどこにあるのか自分自身でも把握するのは難しい。さらにそれを初めて会う人に理解してもらうのはもっと難しい。自分がここのプログを書いている理由の一つとして、自分自身の把握と見る人へのプレゼンがあるわけだが、それがどんなもんじゃい、というのは時々もらえるコメントでしか分からない。資格などはその客観的パラメータだとは思うが、ないよりましということで、とりあえず取れるものはとって置いたがもう少し評価されるためには上の資格が必要なようである。
さて、持論としては技術者たるもの一匹狼になっても生きていくだけの「外から見えるスキル」は身につけるべきである、しかし本当に実力を把握してくれるのは一緒に長い間仕事をしている上司や同僚、後輩達である。
なので新しい可能性を求めて転職するのも悪くはないが、「外から見えるスキル」が無い状態でそれを考えるのはやめた方がいいだろう。「自分はエレクトロニクスのスペシャルです!」と連呼したって相手には伝わらないのである。
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