今日は 3.11。
あれからまる 3年経ったんですね...。
まずは謹んで黙祷をささげます。

  (_ _)    (← うまくかけていませんが。気持ちだけ)
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あの瞬間が実は私は韓国にいて仕事中に日本人の同僚から「大変だ~、大地震があったようだ!」と聞かされました。韓国のメジャーメディア、中央日報は「日本沈没!!!」と報じていて、その重大さを知りました。
そこから先は家で NHK などの報道で事態の重大さを確認したのですが、あの津波が陸地に押しあがって次から次へと平地にある車や、建物などを押し流していく光景を見てかなり凹みました。
その映像自体はその後見ることはなかったのですが(あまりのリアルさに放映できなくなったのでしょうか)、まだ脳裏に焼きついています。

それから原子力発電所のメルトダウン騒ぎがあって韓国にいる日本人も大変です。インターネットで見るニュースを見ては「がんばれ」の連呼でした。
その中で被災地の方々の秩序ある行動は世界の多くの人たちの心を打ったという報道もありました。
私のいた韓国の会社の社長からも日本人社員に対する見舞いの言葉をいただいたのですが、社長メッセージの中に被災地の方々への応援と秩序ある行動への賞賛も入っていました。
私は 1年半前にその会社を退職して日本に帰国したのですが、その際社長メッセージに対する謝意と海外にいてこそ、有事こそ強くなる愛国心(この言葉はしばし誤解を招きそうで使いづらいのですが)について退職のコメントとして語りました。
そんなこんなもあってその後の日韓関係のこじれ具合は残念なのですが、それはおいておいて。

地震もそうですが原発事故は本当に影響が大きいです。有事の際には周辺地域が廃墟になってしまう現実は言葉に表せないものがあります。
で、先日の東京都知事選挙では「原発ゼロ」を争点にしようという候補者がありましたが、それはそれで何か違うような気がします。
大都市東京とその周辺地域(私の住むところもそうです)は単に「原発ゼロ」を訴えればいいのか?という疑問が沸き起こります。もちろん大都市に原発を作る選択はありえません。大都市は大都市としての国に対する果たすべき役割があります。たとえば生産、情報の拠点ということです。
原発がある地域は発電とその維持が役割です。で、大事なことはそれぞれの役割を果たそうとした場合に発生する色々なリスクをどう分散するかが国を引っ張って人たちの考えることであり、それぞれの役割を持つ地域住民はそれに協力し遂行していかなくてはいけないのではないかと思います。

さてもう少し考えを深めてみようと思うのですが、いうまでもなく大都市に原発を持つことは不可能です。有事の際の影響が多すぎて高すぎます。その影響は当該大都市のみならず日本全体に及ぶことを考えればそういう判断になると思います。
では原発地域はそういうのは許されるの?というと、もちろん有事は起きて欲しくはないですが影響の範囲と種類を限定的にすることは可能でしょう。だからといってどうでも良いわけではありません。それに対するリスクは発電による恩恵を得ている地域も負うべきだと思います。
そうはいっても大都市に原発を置くわけにはいきませんから、大都市が負うべきリスク対策というのは別の内容になるはずです。

無い頭で考えてみると、とにかく生産活動と情報の拠点なのだから、それこそ原発地域の苦労を想い、少しでも効率よい生産方法を考え出し、省エネも積極的に取り組むことがまず挙げられます。
もう一つ考えられるのは今回のような有事の際に、当該地域の人たちへの支援をもっと有効にできるための準備をしていくことが出来ないか、ということです。
たとえば当該地域の人たちがその地域から離れざるをえなくなった時の代替え地域として、都市部周辺の遊休地に急遽住居、商業施設、生産施設などを立ち上げてまずはそこで生活を立て直してもらうなどの用意をしておくのはどうでしょうか。
もちろんいつ起きるか分からない災害ですから、建築部材などの準備はかなり負担になります。しかし一旦ストックしておいて特に何もなければ実際に発生している建築に対して部材を使い、またストックしておくというような仕組みを考えられないでしょうか。
費用はかなり掛かると思うが、都市部のやるべきことは生産活動を行って稼ぐことです。それが原発をかかえる地域の負担に応えることであるならば、そのくらいの負担ももってもいいのではないかと思います。必要あれば定期的に訓練を行っても良いぐらいだと思います。

いずれは原発はなくしていく方向だと思いますが、「原発ゼロ」をイデオロギーにして思考停止にならないようにして欲しいものです。まだまだ工夫できることはあると思います。