昨日の記事から、
渋谷温泉爆発、施設管理者無罪・設計担当は有罪
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130509-OYT1T00374.htm
街中で起きた死傷事故だった。犠牲者には改めて心からお悔やみを申し上げたい。
意図的なものではないとはいえ、過失はあっただろう、今後のこともあるからきっちと原因と責任を明らかにする、という取り組みと判断は誰しもが納得できるものだと思う。また被害者感情として、会った被害に見合うだけの処罰がないと浮かばれない、という気持ちも理解できる。と他人事的な発言しかできないからこういう件を語る資格はないかも知れないが、少しだけコメントなど。
今回の判決は、施設管理者は事故が予見できないので無罪、設計担当者は事故の可能性を認識していたにも関わらず、説明義務を怠った、ということで執行猶予付きだが有罪。まあ、そうなのかな、という感じである。
で、今回のような事故が全国で初のケースだったらどうであろうか。爆発の危険性を予知することなど不可能だろう。その場合はどういう判決だったのか。それでも技術者たるもの、ありとあらゆることを想定して対策を打つ義務がある、と言い切れるかどうか。もちろん、多くの技術者は自分のやっていることのあらゆる結果を想定する義務があると思っているし、それに向けて精進していると思う。だから初のケースだからといって言い訳することも自分の矜持が許さない、というがあるだろう。技術者魂ってやつである。ただ法の下に裁かれる立場に立たさせるとそうもいかない。初ケースなら予見不可能として罪は問われなかったかも知れない。では誰が問われるか、仕方がないので管理監督者になるだろう。あるいは個人ではなくて企業になるかもしれない。
もし今回の件が何度かあったケースで、施設の危険性を認識しておけるものであったら、これは責任は問われるだろう。しかしそれは設計担当者に向けられるものか?施設管理者だって知っていなくてはいけない事項だったのでは?あるいは施行側の設計管理者は?
安全を確保するための作業遂行責任は担当者にある。が、結果責任は管理者にある、というのが自分の中での常識だったのだが、今回の件の字面だけ見る限り、遂行責任だけが問われているような気がするがどうだろうか。
遂行責任は担当者の力量で結果が決まってしまう。だから企業は組織で仕事をして、担当者の力量をカバーすることが求められるのではないかと思うのだが。
もちろん当該設計担当者の手抜きもあったかも知れない。それでもそれを見破れない管理者はなにがしかの責任はあると思う。
そうはいっても、ボーイング 787 の件や原発のことを持ち出すまでもなく、技術者の責任は重い時代である。
前にこんなトピックを書いた。
専門家、技術者、受難の時代?それとも?
http://blogs.yahoo.co.jp/susanoo2001_hero/7431926.html
とにかく社会が複雑、暮らしの向上に対する要求が高く、人口問題、環境問題、資源問題、災害問題など専門家、技術者が活躍しなくてはいけない情勢である。しかし知識やノウハウは蓄積できても人間の能力がすぐに高まるわけではないので、人知が要求について行けるかどうか難しい時代になっているのだろう。
そんなスケールの大きい話にしなくたって、5 年前の記事だが、
だから技術者は報われない
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080221/147789/
上で書いた、「技術者魂」につけ込む経営者がいる、という話である。
中村修一教授は、キャラとしては好きになれないが云わんとすることは分からなくもない。青色 LED で第一審で望外の判決が出たときも、「これで技術者も才能があれば、イチロー選手などのようにトップスターになれる道筋が開かれた」というようなコメントをしていた。
第二審では大幅減額で、これで解決にするしかなかったが。
まあ、確かに技術者も才能があればなんとか、というのは必要だと思うが、開発はチームワークだったり、企業側の開発環境の提供などの要素も無視は出来ない。イチロー選手だって自分の活躍を自分だけの成果と思っていないだろう。
とはいえ、山中教授のように「自分だけの成果ではない」といってしまうのも謙虚でよいが少々考え物だ。栄誉があってこそ上を目指すモチベーションも上がるし、自分は才能がもう一つか、と思ってもそういったトップスターの仕事を手伝うことで自分の気持ちの中に栄誉のお裾分けをしてもらった、という気持ちにもなるだろう。もちろん山中教授は「技術者魂」につけこむ管理者ではないし、尊敬できる先生である。
だが、トップスターであるからにはトップスターらしい振る舞いが要求されると云うことだろう。
いきなりレベルの低い話になって恐縮だが、自分もここに何かの役に立つかも知れない、と自分のやってきたことの解説(怪説?)を展開し、他のコミュニティでも参加者に対して知る限りにアドバイスをしている。
ところがこれが前の会社のつきあいのある後輩からいかがなものか、と云われた。つまり無償でそういった技術を伝達するのはよくない、ということらしい。画蔵ごときのレベルの技術アドバイスではお金が取れない、というのでは私はどうなる?(一応後輩なので謙遜している)ということのようだ。
また、私自身の知識や経験は後輩達に「あれをやれ、これをやってみろ」といった結果である。後輩達にしてみればそれを無償でばらまかれては堪らないだろう。
話は少し変わって、会員(無料です)しか見られないので恐縮だが。
「フォロワー」しかいなくなる電機産業
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK07008_X00C13A5000000/
要は、先行したからって幸せになれるわけではないらしい。
これからの人になんてアドバイスしたらいいか悩ましいところである。
でも今の人はもっとしたたかかな。
渋谷温泉爆発、施設管理者無罪・設計担当は有罪
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130509-OYT1T00374.htm
街中で起きた死傷事故だった。犠牲者には改めて心からお悔やみを申し上げたい。
意図的なものではないとはいえ、過失はあっただろう、今後のこともあるからきっちと原因と責任を明らかにする、という取り組みと判断は誰しもが納得できるものだと思う。また被害者感情として、会った被害に見合うだけの処罰がないと浮かばれない、という気持ちも理解できる。と他人事的な発言しかできないからこういう件を語る資格はないかも知れないが、少しだけコメントなど。
今回の判決は、施設管理者は事故が予見できないので無罪、設計担当者は事故の可能性を認識していたにも関わらず、説明義務を怠った、ということで執行猶予付きだが有罪。まあ、そうなのかな、という感じである。
で、今回のような事故が全国で初のケースだったらどうであろうか。爆発の危険性を予知することなど不可能だろう。その場合はどういう判決だったのか。それでも技術者たるもの、ありとあらゆることを想定して対策を打つ義務がある、と言い切れるかどうか。もちろん、多くの技術者は自分のやっていることのあらゆる結果を想定する義務があると思っているし、それに向けて精進していると思う。だから初のケースだからといって言い訳することも自分の矜持が許さない、というがあるだろう。技術者魂ってやつである。ただ法の下に裁かれる立場に立たさせるとそうもいかない。初ケースなら予見不可能として罪は問われなかったかも知れない。では誰が問われるか、仕方がないので管理監督者になるだろう。あるいは個人ではなくて企業になるかもしれない。
もし今回の件が何度かあったケースで、施設の危険性を認識しておけるものであったら、これは責任は問われるだろう。しかしそれは設計担当者に向けられるものか?施設管理者だって知っていなくてはいけない事項だったのでは?あるいは施行側の設計管理者は?
安全を確保するための作業遂行責任は担当者にある。が、結果責任は管理者にある、というのが自分の中での常識だったのだが、今回の件の字面だけ見る限り、遂行責任だけが問われているような気がするがどうだろうか。
遂行責任は担当者の力量で結果が決まってしまう。だから企業は組織で仕事をして、担当者の力量をカバーすることが求められるのではないかと思うのだが。
もちろん当該設計担当者の手抜きもあったかも知れない。それでもそれを見破れない管理者はなにがしかの責任はあると思う。
そうはいっても、ボーイング 787 の件や原発のことを持ち出すまでもなく、技術者の責任は重い時代である。
前にこんなトピックを書いた。
専門家、技術者、受難の時代?それとも?
http://blogs.yahoo.co.jp/susanoo2001_hero/7431926.html
とにかく社会が複雑、暮らしの向上に対する要求が高く、人口問題、環境問題、資源問題、災害問題など専門家、技術者が活躍しなくてはいけない情勢である。しかし知識やノウハウは蓄積できても人間の能力がすぐに高まるわけではないので、人知が要求について行けるかどうか難しい時代になっているのだろう。
そんなスケールの大きい話にしなくたって、5 年前の記事だが、
だから技術者は報われない
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080221/147789/
上で書いた、「技術者魂」につけ込む経営者がいる、という話である。
中村修一教授は、キャラとしては好きになれないが云わんとすることは分からなくもない。青色 LED で第一審で望外の判決が出たときも、「これで技術者も才能があれば、イチロー選手などのようにトップスターになれる道筋が開かれた」というようなコメントをしていた。
第二審では大幅減額で、これで解決にするしかなかったが。
まあ、確かに技術者も才能があればなんとか、というのは必要だと思うが、開発はチームワークだったり、企業側の開発環境の提供などの要素も無視は出来ない。イチロー選手だって自分の活躍を自分だけの成果と思っていないだろう。
とはいえ、山中教授のように「自分だけの成果ではない」といってしまうのも謙虚でよいが少々考え物だ。栄誉があってこそ上を目指すモチベーションも上がるし、自分は才能がもう一つか、と思ってもそういったトップスターの仕事を手伝うことで自分の気持ちの中に栄誉のお裾分けをしてもらった、という気持ちにもなるだろう。もちろん山中教授は「技術者魂」につけこむ管理者ではないし、尊敬できる先生である。
だが、トップスターであるからにはトップスターらしい振る舞いが要求されると云うことだろう。
いきなりレベルの低い話になって恐縮だが、自分もここに何かの役に立つかも知れない、と自分のやってきたことの解説(怪説?)を展開し、他のコミュニティでも参加者に対して知る限りにアドバイスをしている。
ところがこれが前の会社のつきあいのある後輩からいかがなものか、と云われた。つまり無償でそういった技術を伝達するのはよくない、ということらしい。画蔵ごときのレベルの技術アドバイスではお金が取れない、というのでは私はどうなる?(一応後輩なので謙遜している)ということのようだ。
また、私自身の知識や経験は後輩達に「あれをやれ、これをやってみろ」といった結果である。後輩達にしてみればそれを無償でばらまかれては堪らないだろう。
話は少し変わって、会員(無料です)しか見られないので恐縮だが。
「フォロワー」しかいなくなる電機産業
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK07008_X00C13A5000000/
要は、先行したからって幸せになれるわけではないらしい。
これからの人になんてアドバイスしたらいいか悩ましいところである。
でも今の人はもっとしたたかかな。