ちょっと前に中3の娘が理科の授業でやった実験の内容がよく分からないので教えて欲しい、と云ってきた。
内容は電池である。そうボルタの電池である。
これを自分がやったのは 40 年近く前なのでさすがに覚えていない。
なんとなく、電極に使った金属が水溶液に溶解してそれで電子が分離して起電するぐらいのイメージしか持っていなかった。
電極として銅と亜鉛、電解液として塩酸を使っていたので、最初のイメージは銅と亜鉛が水素を発生させながら塩酸に溶けて、ただしイオン化傾向の違いでそれぞれの金属が水溶液中でイオンとしてとどまるか、化合物としてとどまるかの差により、分離した電子の量に違いがあって電位差が生じる、ぐらいの解釈だった。
ところがネットを調べてみたところ、まずボルタの電池自体が高校生、中学生の知識で現象を説明できるものではないというレベルの話であることが分かった。そうなるといくら教えようとしても無理がある。現象を覚えてもらうぐらいである。
とはいえ現象の流れは説明しておかなくてはいけない。考察のレポートを書かなくてはいけないからだ。
前述の説明の何が間違っているかというと、まず銅は塩酸に溶けない。従って銅板のところでは普通には水素は発生しない。しかし参考書にも実験もボルタの電池では銅板のところで水素は発生するとなっている。この説明として、亜鉛板で亜鉛が溶けた際電子は亜鉛板上に残り、それが導線を伝わって銅板のところに到達し、そこで電離していた水素原子と結びついて水素分子となる、ということになっている。
では、なぜ亜鉛が溶解した際電子は亜鉛に残ったのか、また別のところには「亜鉛と塩酸につけると溶解して水素を発生させる」とある。なのになぜ導線を使って銅板に接続したら、電子は移動してしまうのか。
極端なイメージとしては、亜鉛板を塩酸に付けたら水素がブクブクと発生し始める。しかし、同じ溶液に銅板も浸しておいて(それだけなら何も起きない)亜鉛板と導線でつないだ瞬間に、手品のごとく銅板からブクブクと水素が発生しだし、亜鉛板では水素の発生が止まる、ということである。(さすがにこうはならないだろうが)
もちろん電子は移動しやすい方により多く移動するので、亜鉛から水溶液に移動するより、導線を通じて銅板に移動する方が容易ならそういうものかもしれない。
が、実験では導線(電流計が挿入されているが)の他に電子ブザーなども鳴らしたとのこと。電子にとって電子ブザーを鳴らすのと、亜鉛イオンと一緒に水溶液に流れ込んで、水素を発生させるのとどちらが楽なのだろうか。電子に聞いてみたい。いや、余計なことして電子が権利に目覚めて亜鉛板のところで水素になる方を選んだら、「ボルタの電池」が動かなくなり、それこそ世界中で電池が動かなくなる。それでは困るのでやめておく。<<ちょっとマテ!
電気化学の分野は知見はあまりないが、なまじっか電気そのものはそれなりなので疑問がどんどん湧いてくる。
これらの疑問についてはまだ調べ切れていない。今の私の知識では無理かも知れない。
なぜこんなことを書いたかというと、物質の性質を調べるのに電気化学計測というのがあって、これは化学物質になにやらの起電を起こさせて、その電力(電圧または電流)を調べることで、化学物質を分析するという手法だが、これを仕事の関係でちょっと調べている。その話が出る直前に「ボルタの電池」を調べていたので、縁とは不思議なものだというオチである。オチになっていないか。
因果応報?私悪いことしていないし...。もっと勉強しろ!と云うことでしょうか。Give me a break!
内容は電池である。そうボルタの電池である。
これを自分がやったのは 40 年近く前なのでさすがに覚えていない。
なんとなく、電極に使った金属が水溶液に溶解してそれで電子が分離して起電するぐらいのイメージしか持っていなかった。
電極として銅と亜鉛、電解液として塩酸を使っていたので、最初のイメージは銅と亜鉛が水素を発生させながら塩酸に溶けて、ただしイオン化傾向の違いでそれぞれの金属が水溶液中でイオンとしてとどまるか、化合物としてとどまるかの差により、分離した電子の量に違いがあって電位差が生じる、ぐらいの解釈だった。
ところがネットを調べてみたところ、まずボルタの電池自体が高校生、中学生の知識で現象を説明できるものではないというレベルの話であることが分かった。そうなるといくら教えようとしても無理がある。現象を覚えてもらうぐらいである。
とはいえ現象の流れは説明しておかなくてはいけない。考察のレポートを書かなくてはいけないからだ。
前述の説明の何が間違っているかというと、まず銅は塩酸に溶けない。従って銅板のところでは普通には水素は発生しない。しかし参考書にも実験もボルタの電池では銅板のところで水素は発生するとなっている。この説明として、亜鉛板で亜鉛が溶けた際電子は亜鉛板上に残り、それが導線を伝わって銅板のところに到達し、そこで電離していた水素原子と結びついて水素分子となる、ということになっている。
では、なぜ亜鉛が溶解した際電子は亜鉛に残ったのか、また別のところには「亜鉛と塩酸につけると溶解して水素を発生させる」とある。なのになぜ導線を使って銅板に接続したら、電子は移動してしまうのか。
極端なイメージとしては、亜鉛板を塩酸に付けたら水素がブクブクと発生し始める。しかし、同じ溶液に銅板も浸しておいて(それだけなら何も起きない)亜鉛板と導線でつないだ瞬間に、手品のごとく銅板からブクブクと水素が発生しだし、亜鉛板では水素の発生が止まる、ということである。(さすがにこうはならないだろうが)
もちろん電子は移動しやすい方により多く移動するので、亜鉛から水溶液に移動するより、導線を通じて銅板に移動する方が容易ならそういうものかもしれない。
が、実験では導線(電流計が挿入されているが)の他に電子ブザーなども鳴らしたとのこと。電子にとって電子ブザーを鳴らすのと、亜鉛イオンと一緒に水溶液に流れ込んで、水素を発生させるのとどちらが楽なのだろうか。電子に聞いてみたい。いや、余計なことして電子が権利に目覚めて亜鉛板のところで水素になる方を選んだら、「ボルタの電池」が動かなくなり、それこそ世界中で電池が動かなくなる。それでは困るのでやめておく。<<ちょっとマテ!
電気化学の分野は知見はあまりないが、なまじっか電気そのものはそれなりなので疑問がどんどん湧いてくる。
これらの疑問についてはまだ調べ切れていない。今の私の知識では無理かも知れない。
なぜこんなことを書いたかというと、物質の性質を調べるのに電気化学計測というのがあって、これは化学物質になにやらの起電を起こさせて、その電力(電圧または電流)を調べることで、化学物質を分析するという手法だが、これを仕事の関係でちょっと調べている。その話が出る直前に「ボルタの電池」を調べていたので、縁とは不思議なものだというオチである。オチになっていないか。
因果応報?私悪いことしていないし...。もっと勉強しろ!と云うことでしょうか。Give me a break!