ご当地に開業して早くも25年の月日が流れました。後ろを顧みる暇もない毎日でしたが、躓いたり、迷走したり、絶壁から放り出されそうで絶望しかかる都度、偶々、居合わせて頂いた皆様に手を引かれ、幾度となく救い助けて頂き、今日に至っています。
感謝の言葉しか有りません。これからは、ご恩に少しでも報いるべく、ご縁を頂いた皆々様へのお力添えの一念を忘れず、微力を捧げ続けたいものと思います。
この僅かと言えば短い25年間ですが、当店回りの街の風情も随分変わりました。
そんな思いの中、ご当地、愛知県の歴史を思い起こしますと、この日本列島の“ど真ん中”に位置するにふさわしく、目を見張るばかりの存在感を示し続けてきていることに感心するばかりです。
特に、武家が台頭し、鎌倉幕府が成立し、承久の乱を経て、北条氏による「執権政治」が始まりますと、「六波羅探題」が設けられ、尾張以西の西日本は「六波羅探題」が管轄し、三河以東の東日本は「鎌倉幕府」が直轄する体制が敷かれ、正に、日本の東西を分ける境界が愛知県の尾張と三河の間に設けられたわけです。
又、これと並行して、尾張と三河の守護職は、源氏の主流に当たる「足利氏の一党」が
代々努めることになりました。尾張部の「斯波氏(しばし)」、三河部の「足利氏、一色氏、細川氏」などです。
「建武の中興」から「矢作川の戦い」を経て、「足利幕府の室町時代」を迎えますが、
有名な「足利家に万一のことあらば、後は吉良が引き受けよ」と言われた言質が有りますように、幕府の成立時点から、「足利幕府の実家」の如き立ち位置を示していたようです。
言わずもばなかも知れませんが、戦国時代を経て、徳川時代に進みますが、ここでも
「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」という三傑を送り出したのもこの愛知県です。
不思議と思えてしまいそうな歴史上の事実です。
今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。