1945年10月24日に「国際連合」が

正式に発足したことを記念し、

1948年の「国連総会」で、「国際デー」として

宣言され、制定された記念日です。

 

第二次大戦後、アメリカの「フランクリン・

ルーズベルト大統領」の提唱の下に、

原加盟国51か国で、ニューヨークに事務局を置き、

発足しました。

 

日本は1956年(昭和31年)に80番目の加盟国として

加盟し、現在の加盟国数は193カ国に及び、

ほぼ全世界を網羅する組織になっています。

 

日本は、アメリカに次ぐ世界で2番目の拠出金を

負担し、950名に及ぶ国連職員が働いてもいます。

 

「国際連合」に先立ち、第一次世界大戦後に

「国際連盟」が設立されていましたが、

当初の設立目的で有りました「世界戦争」の発生を

防ぐことが出来ず「第二次大戦」が勃発して

しまいました。

 

この経験から、「国際連合」では、

・当初からアメリカ、ソ連という超大国が加盟している。

(国際連盟には、アメリカがモンロー主義により、加盟して

いませんでした。)

・総会の議決は「多数決主義」を採用。(国際連盟では、

全会一致の法則が適用されていました。)

・「国際連合による武力の行使」を容認。

 

上記3点の改善策を以て、

常任理事国としては、アメリカ合衆国、ソビエト連邦、

イギリス、フランス、中華民国の5か国で

発足し、運用されています。

 

「国連」と「日本人」と言いますと、

「国連高等難民弁務官」を務められた「緒方貞子さん」、

「事務次長、国連カンボジア暫定統治機構事務総長

特別代表」他を務められた「明石康さん」の名前が

浮かびます。

 

どちらも「小さな意味での国益の確保」という領域を

超える意識のもとに障害を捧げ、実践されたように

思います。

 

遠い異国の地で、司法や看護や農業を通じ、

生涯を終えて後には、それぞれの地で「国葬」乃至は、

それに準じる葬送の儀をもって「尊崇」された

人々と同じ「地球人」たる気概、覚悟、信念を

感じさせて頂けるように思います。

 

「個人」が有り、「家族」が有り、

「国、国家」が有り、「世界」が有ります。

 

確かに、私個人としましても「何が何でも守る、

掛け替えのない存在の孫」が居り、

「家族」有っての自分の存在という立ち位置は

生きていくためにも不可欠なもののように

思います。

 

「国、国家」はどんなものでしょう?

「同じ言葉を話し、親族縁者も集中しています。」

与えられた人生を生き抜くために、

「手を取り合い、助け合って生涯を全うすべき存在」

ということでしょうか。

 

間違っているとは思いませんし、そう有りたいものと

思いますが、「国が違ったところに住む人々も、

今、住んでいる場所が違うだけのことで、

同じ人間としての心身に変わりは無い」ように

思います。

それが証拠に、「人道に叶う尽力」は、

国籍、地域を超えて評価されて来ています。

 

ともすれば「国益」という言葉が、「呪縛」を生じさせ、

「いさかい、排他心、戦争」への結びつきに

至っていることを、

人間の歴史は繰り返しているようにも

思います。

 

「地球」そのものまで破壊しかねない「武器」を

手にしてしまった現代の我々には、

根本的な「発想、料簡の拡大」が求められている

ように思います。

 

一人一人が「国境に捕らわれない地球人」たることの

意識の浸透こそ不可欠ではと

思う所です。

我家の“リオ君”は

突然、どこでも

眠れます。

 

昨日は、庭の手入れを

しっかりお手伝いして

くれましたので、

 

手押しの「三輪車」で

市内の遊園地廻りをしました。

 

運動公園では、野球を観戦しながら

「ソフトクリーム」を食べ、

スベリ台、ブランコ、タイヤ飛び、

笹百合集めなど、

遊びまわり、

 

帰り道の「フアミマ」で、

「バナナとチョコケーキ」を

買い求め、

秋晴れの、田圃道を

ガタゴト歩いていましたが、

 

バナナを食べている筈の

“リオ君”が

突然、こっくり、力が抜けて

眠りだしてしまいました。

 

幸い、体を固定する

器具が付いており、

「三輪車」から

落ちたりはしませんでしたが

 

よくぞ、あの場で

眠れたものと、

感心しきりです。

 

家についても眠っていて、

ママに抱っこの手渡しで

渡した“リオ君”ですが、

 

部屋に入るとすぐに目を覚まし、

「トミカの自動車」を部屋中に

ぶちまけて、

大はしゃぎでした。

 

「寝顔には手の出しようもない」

“リオ君”です。

ここのところ、街の人出も

随分、回復してきているように

思えます。

 

神社やお寺さんの、

「御朱印、ゴム印」、

水彩画や油絵の「展示会はがきDM」など、

 

コロナ前に戻ってきているように

思います。

 

今年も

「鮎釣りや登山」など、

高齢者の事故の也発など

報道されていますが、

 

屋外で、大きく、伸び伸びと

過ごしたい気持ちは

よくわかります。

 

事故の無いよう、

慎重には配慮しつつも

 

日常の活動の解放感には

捨てがたいものが有ります。

 

一緒になって、

飛び出したい気持ちです。

 

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト