1958年(昭和33年)に「日本新聞協会」が

「日頃の広告出稿への感謝と更なる新聞広告の

PRを目的」として制定した記念日です。

 

「新聞広告」と言えば、長崎 出島の「英字新聞」

の発行以来、新聞の歩みと歩(ほ)を一(いつ)にして

発展を重ねてきた広告媒体です。

 

そもそも「広告」とは「特定の情報を広く告知する」

という意味を持っていますが、

 

「書面、紙を用いての広告」の日本においての

元祖は、江戸時代初期の「引き札」ではと

されています。

 

天和(てんな、てんわ)3年(1683年)、呉服店の

「越後屋」が「現金安売り掛け値なし」という

「引き札」を店の十里四方に撒いたことが、

日本での商業広告の始まりとされています。

 

余談ですが、前年の天和2年、時の将軍は第五代

「綱吉公」でしたが、12月には「天和の大火」が有り、

「井原西鶴さんの好色五人女」の中の一話である

「八百屋お七」の物語にもなり、「お七さん」は

その翌年3月に「礫刑」に処されたという時代です。

 

「引き札」は、「浮世絵版画の技術」の発展と

歩調を合わせ、木版、石版、銅版、活版印刷へと進歩、

発展して行きます。

近代広告の元祖ともされ、まさに「キャッチコピー」の

先駆けの役割も果たすもので、

浮世絵や格言など気の利いた「引き札」は、

昭和の大戦以降も家の壁や襖、或いは、電信柱、

更に「街の銭湯」等にも貼りだされていたものです。

 

明治に入りますと、日本語の新聞も発行されだします。

その立ち上がり時期、1882年(明治15年)には、

「新聞広告の嚆矢」とも例えられる「福沢諭吉さん」の

「説諭書」が公開され、「新聞広告」も勢いづく

根拠ともなりました。

 

その内容ですが、

「福沢諭吉さん発行の新聞、時事新報」の中で、

「商人に告ぐるの書」として、

「新聞に広告を載せることの有用性」を説いています。

 

①購読者にとって、新聞は有料で有り、無料のものより

 心して広告を見ること(従来の引き札に比較しての

 有利性を謳っています。)

②新聞毎の「購読者数」と「購読者の富裕階層の差」に

 注目すべきこと(自社、時事新報社の有利さ、宣伝)

 

以降は、ラジオ、テレビ、雑誌等を先導する勢いで

発展を続け、1990年代にはそのピークを迎える

ことになります。

 

2000年代に入り、マス広告の縮小、インターネット広告

の伸長の時勢となり、2020年には「トップランナー」の

座を譲ることにはなりますが、

信用的価値、手に取れる資料としての有用性など、

「紙素材ならではの効能」は健在であり、

これからも「生き残るべき媒体」として

存在し続けるのではと思います。

我家の“リオ君”は

上手に眠ります。

 

夜8時半になりますと、

「良い子はねんねの時間だよ」と

誰かしらの声が

聞こえます。

 

“リオ君”は

歯は磨き終え、

お風呂から上がったばかりです。

 

「ぼく、まだ、寝ない」と言って

「ハーモニカ」を吹いたり

遊びを止めません。

 

居間の「リオ君枕(クッション)」の所で

「ごろんた(横になる)」し、

一口、お茶を口にしますと、

「ママベッドへ行く」と

言いだします。

 

抱っこでママベッドへ寝かせつけ、

豆電球だけの暗さに

部屋をしますと

絵本を読んでと

せがみます。

 

途中「桃太郎さん」、「パフ」、

「みかんの花咲く丘」、「琵琶湖周航の歌」、

「椰子の実」など、歌い聞かせます。

 

ほとんどは、

絵本の終わる前に

寝息が聞こえだします。

 

極上の「幸せ感、匂い」を

頂ける、

至福の時間です。

 

「有難う」の

“リオ君”です。

少しづつですが、

栄や錦の飲食店様からの

「営業用の印刷物(名刺、封筒、

会計票、コースター等)」の

ご用命が入り始めています。

 

2020年の「コロナ前」以来と言う

ものも珍しくありません。

 

「~~に紹介されて」との

ご来店理由で、初めてご来店頂く

お客様も有ります。

 

お客様に喜んで頂いて

始めて、続けて行ける

お店です。

 

本日もよろしくお願い

致します。

 

アンクリエイト