1972年9月29日、日本側「田中角栄総理大臣」と

中国側「周恩来国務院総理」が

「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」に

署名し、“日中間の国交の回復”が成立しました。

 

日本国内でも、この数日前の9月25日、秋晴れの

「北京空港」へ、日航の専用機から降り立つ

田中首相と、それをにこやかに迎える周恩来首相の

姿が放映され、歓呼の声が上がったものです。

 

この頃は「ベトナム戦争」は最終コーナーへ差し

掛かっている一方で、東側世界の中では、中国と

ソ連の対立が表面化し、又、中国国内では「文化

大革命」が収束しておらず、不穏と緊張感の漂う

時勢でした。

 

そんな中、米中の接近が顕著となり、ニクソン大統領

の訪中が日本に先駆けて実現し、国連の常任理事国の

座に「中華人民共和国」が正式に座ることが

認められました。

 

この時の「日中の国交回復」を以て、

日本は「中華民国(台湾政府)」とは「断交」の通告を

だすこととなりました。

これ以降、「台湾」との国交は「民間交流」が主体となり、

託されることになります。

 

周首相の「双方が努力し、充分に話し合い、小異を

残して、大同を求めることで、中日国交の正常化は

必ず実現できる」という言葉は、多くの場面で

「慣用句」としても使われたものです。

 

しかし「周首相」、「田中首相」それぞれの人望の

高さ、人望には魅了されるものが有りました。

 

つい先日「安倍元総理」の国葬が執り行われました。

「田中元総理」は、投獄もされ、国や公的な機関の

手を経ての葬儀は行われていません。

 

しかし、私達日本人の心に残るのはどちらかと

問われれば「田中元総理」の方が圧倒するのではと

思います。

 

「安倍元総理」は、「お友達や知人に力を尽くす、

話し上手なお坊ちゃま」というイメージでした。

「政治家にだけはならないほうが良かったのでは」

という声が多く聞こえます。

 

一方の「田中元総理」は、「いつも社会の弱者と

底辺や辺鄙な僻地を徘徊する人々から目を離さない、

それでいて敵や仇からも慕われ、愛されてしまう

だみ声のオヤジ」だったという印象です。

 

「敵や仇」まで魅了する分「田中元総理」の

勝ちですね。

 

それにつけても「国葬」で頭に浮かびますのは、

戦前の事ですが、1934年(昭和9年)、オランダ政府の下で

「国葬の礼」で弔われた、「安達峰一郎さん」の

「国葬」ですね。

私も一も二も無く尊崇させて頂きますが、

「国際連盟の国際司法裁判所長」を務められ、

「世界平和への貢献」を称賛されてのものです。

我家の“リオ君”は

ご飯を海苔巻にすると

食欲が変わります。

 

一口でお口に入る大きさにして

海苔で巻きます。

 

小さなお手々で手づかみで

お口に放り込みます。

 

こっくんと喉を通りますと、

お味噌汁かハンバーグなど

小さなおかずを口にします。

 

又、海苔巻きご飯を口に入れて

後はその繰り返しです。

 

10回以上続きます。

 

最後は、規定の牛乳と

お茶を飲んで、

「ご馳走さま」です。

 

もりもり、美味しそうに

食べてくれる“リオ君”に

「バンザイ」です。

お客様それぞれに「印刷物へのこだわり」が

有り、それにお答えするところには

「醍醐味」も実感できます。

 

「デザイン部分」、「印刷色の出具合」、

「用紙の材質、カラー、サイズ、形など」、

 

お客様の一人一人が、

感心してしまうほど多岐に亘る

ご要望を寄せられます。

 

小さな名刺やショップカードでも

「たかが名刺、されど名刺」の感覚で、

さらさら馬鹿にはできません。

 

毎日毎日が見方によっては

新発見と初めての経験の連続です。

 

今日もよろしく

お願い致します。

 

アンクリエイト