9月26日は、統計上で台風の襲来が

多い日であることから“台風襲来の日”と

定められました。

 

9月26日に上陸した主な台風ですが、

青函連絡船「洞爺丸」が沈没た

1954年(昭和29年)の「洞爺丸台風」、

1958年の「狩野川台風」、

そして、死者5000人超、被災家屋

57万9千棟を記録した、明治以降で

最大の被害をもたらした「伊勢湾台風」

等が有ります。

 

発生する台風も年々強大化しているように

思えます。

明日の国葬への出席を急遽取りやめた

「カナダのトルドー首相」ですが、

そのカナダへは815ヘクトパスカルという

史上最低気圧の猛烈な台風が」押し寄せて

います。

 

900ヘクトパスカルを割り込む台風の

威力のほどは、見当もつきません。

 

先日襲来した14号は、九州へ上陸後、小型化

しましたが、それでも列島の各地に

水害による被害を発生させています。

 

歴史の中での台風と言えば、

鎌倉時代中期の「蒙古の襲来と台風」の

話が有ります。

 

1274年の「文永の役」と1281年の「弘安の役」

ですが、この時は、台風に味方され、日本が

助かったというものです。

 

この「蒙古の襲来の目的」については、

諸説あるところですが、

日本列島の北方から、カムチャッカ半島へ

かけて分布していた「クイ(現在のアイヌ民族の

居住圏)」の南下を防ぐという目的も

排除できないものがありそうです。

 

私にとっての「台風」といえば、

先ずは「伊勢湾台風」です。

先述しましたが、すぐ前年には「狩野川台風」が

有り、他にも「室戸台風」、「第二室戸台風」など

台風が相次ぎました。

 

しかし、台風への備えを一変させた台風は

「伊勢湾台風」だったと思います。

 

秒速40メートルを超す風で、藁屋根も瓦屋根も

トタンぶきの屋根の家も吹き飛んだり、

屋根がごっそり吹き飛ばされたりしてしまいました。

 

伊勢湾や三河湾の沿岸部では、高潮も

重なり、海岸部から1000mを超す位置に有る

市街地にまで海水が押し寄せました。

 

当時小学生だった私達も、後期高齢者への

入口に立つ年齢になっています。

 

あと後まで、油断することの無いよう、

語り継がれて欲しいものだと思います。

我家の“リオ君”は

雷さんが大嫌いです。

 

「ゴロゴロッ」の音がすると

「何の音、何の音?」と尋ねながら

大人の近くを離れません。

 

時たま、閃光で辺りが

明るくなりますと、

「ゴロゴロさん、光った」と

ビックリしています。

 

「逃げることも上手になって欲しい」

“リオ君”です。

本日もよろしく

お願い致します。

 

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