1927年(昭和2年)9月21日、東京、銀座の
三越呉服店で、日本で初めての
“ファッションショー”が行われました。
内容は「一般公募で寄せられたデザインで
仕立てられた着物」で、モデルは当時の
トップ女優の一人であった
「初代 水谷八重子さん達3名」で勤めた
とされています。
三越呉服店では、
「日本で初の自動ドア」と
「日本で初のエレベーター」を設置し、
この日に備えたということです。
この“ファッションショー”は大盛況のうちに
終始したと伝えられています。
私の母は1924年(大正13年)の生まれです。
私の子供時代の母の服装には「着物」と
「洋服」と入り混じっていますが、
いつも真っ白の「割烹着」を身に着けている
服装が目に焼き付いています。
私達子供は、学校から帰ると、セーターなどに
着替えましたが、「着物」を着るという事は
ほぼ有りませんでした。
深夜に及ぶ受験勉強の時に、「綿入りのドテラ」を
背中に羽織り、寒さを凌いだと記憶しています。
ただ、履物につきましては、「ゴム草履」、
「下駄」は簡易で日常ひっかけていたと
記憶しています。
「初代の水谷八重子さん」や「田中絹代さん」の
記憶は“着物姿”ですが、「原節子さん」あたりからは
「洋服姿」が浮かびます。
“ファッションショー”等とは縁遠い、田舎育ちの
私ですが、田舎で有ろうと都会で有ろうと
「女性陣」の「ファッションへの関心の高さ」には
幾度となく翻弄され続けて来ました。
「そこそこ清潔で、暑さ寒さを凌げれば、
充分では」、との本音?の吐きにくい環境で
長く過ごし続けていますが、
“ファッションそのものの価値”を卑下したり、
無用に思ったりするものでは有りません。
「身に着けている本人も快く、周りの人をも快く
させる、ひいては感動をもたらす」という
「ファッションの持つ価値」は尊重する
気持ちです。
我家の“リオ君”は
随分「お片づけ」が
出来るようになりました。
「積み木」、「レゴブロック」、
「アンパンマンや地図、トミカのパズル」、
「ケーキ屋さんセット」、「組立プラレール」など
遊び初めには、豪快に
箱ごとひっくり返します。
たちまち、部屋も廊下も
大変な状態になりますが、
遊び終わって、
一緒にお片づけの
声掛けをしますと、
「自分でやる」と声を出し、
豪快にそれぞれの箱に
収納を始めます。
途中で、
好きな絵柄や、興味のある
ものを手にしますと、
すっかり「お片づけ」は忘れ、
中断してしまいますが、
今はそれで十分ではとも
思います。
「お片づけ」のできる
“リオ君”は
「花丸、二重丸」です。
名古屋の盛り場、「錦、栄」の
飲食店様からの
印刷物のご用命が
少しずつ戻り始めてきた
ように思います。
「お客様有ってこそ」の
旗印は、私達も含め、
同じです。
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

