1954年(昭和29年)9月16日、「日本中央競馬会」が

農林省(当時)の監督の下で発足したことを

記念しています。

 

日本の競馬は、

「日本中央競馬会」が施行する「中央競馬」と

「地方公共団体」が施行する「地方競馬」の

二本立てで運用されています。

 

それぞれに辿ってきたルーツは異なりますが、

そもそもは江戸時代の末期、「鎖国政策」を

解き、横浜や神戸などに「外国人居留地」が

設けられたことから始まります。

 

「外国人居留地」が設けられますと、早々の内に

居留する外国人の間で娯楽としての“競馬”が

始まりました。

 

1966年(慶応2年)、江戸幕府が常設の競馬場として

「横浜競馬場(根岸競馬場)」を造成し、

そこには「治外法権」を認可しました。

 

当時、日本国内では「賭博の禁止」が法制化されて

いましたが、「横浜競馬場」ではその規制を受ける

ことがないため、盛んに「馬券」が発行されていた

と記録されています。

 

“競馬”と「馬券」との関わりですが、

「馬券」の発行の無い、賭博性の無い“競馬”は

数多く開催されましたが、いずれも短期間で

終わってしまい、継続している「競馬」は

有りません。

 

又、この頃使われていた「競馬馬(けいばうま)」は

日本の在来種や雑種馬だったようです。

 

私自身は「競馬」への関心や関わりは深いものでは

有りませんが、「生き物としての馬」の「優しい

まなざし、表情」や、「爽やかに疾駆する筋肉質の

体躯」には非常に魅力を感じますし、

幾多の動物の中でも、「大好きな部類」に

入ります。

 

古くは「シンザン」、「スピードシンボリ」から

一世を風靡し、ブームをも巻き起こした

「ハイセイコー」、その後も

「テンポイント」、「シンボリルドルフ」、

「オグリキャップ」などと名馬、人気馬の

途切れることも有りませんが、

 

私の記憶にも残る、愛すべき「競走馬」は、

「ハルウララさん」です。

もう20年程も前になりましたが、

彼女(牝馬です)は、「113銭0勝」という

類まれな記録を打ち出しています。

 

体躯は小柄で、性格は臆病でわがままで

飽きっぽい、ということで、体格も性格も

「競走馬」には全く向いていないどころか、

その資質をも問われかねないものでしたが、

四国、高知の競馬場の広告塔にもなり、

全国的な人気を博す存在でも有りました。

 

彼女の馬券は良く売れました。

理由は「当たらないところから、交通安全の

お守り」にするというものです。

他にも、「絵馬」まで作られたとの報道も

思い返されます。

 

日本の「高度成長期」の立ち上がり時期に、

前途への希望や夢を乗せて疾駆した

「ハイセイコー」の記憶は強烈に有りますが、

綿々と続く「低迷期」に、「大丈夫だよ」とでも

声を掛けてくれそうな「ハルウララさん」にも

愛着の湧くところです。

我家の“リオ君”は、

今は何かにつけて

「水族館へ連れて行け」と

迫ります。

 

「水族館」のペンギンさん、

シャチさんなども大好きですが、

行き帰りの電車やバスが

何よりの楽しみのようです。

 

我家から安城駅までは、

「アンクルバス」を

たった二区間ですが利用します。

 

JR安城駅からは、金山駅まで

「電車」です。

「金山駅」から「水族館」までは

「地下鉄」です。

 

帰り道で、時間に余裕が有れば、

「栄駅」まで来て、

「オアシス」や「NHKビル」等で

遊びます。

 

帰り道は、丁度反対のルートを

辿りますが、

 

家に帰ると、

いつの間にか

“リオ君が電車の運転手さん”です。

 

数日は楽しめる

“リオ君”の

「水族館」行きです。

 

楽しい気持ちが家じゅうに

伝わってくるのは

有り難く、大歓迎です。

「コロナ騒動」の間はやや低調でしたが、

「封筒」の追加印刷のご用命が

復活してきています。

 

お店や事業所様のイメージづけにも

大きく関わります。

 

短期、小ロット向きのデジタル印刷と

本格的、大ロット向きのオフセット印刷、

両方を使いわけて

承っています。

 

自信の“画像処理、デザインワーク”が

売り物です。

 

今日もよろしく

お願い致します。

 

アンクリエイト