1963年(昭和38年)、老人福祉法により
9月15日が“老人の日”と制定されました。
1966年(昭和41年)、祝日法の改正により
「敬老の日」と改称され「国民の祝日」と
なりました。
2003年(平成15年)、祝日法の再改正により
「敬老の日」は、毎年の9月の第三月曜日と
改められ、「9月15日」は“老人の日”として
残され、現在に至っています。
「老人、老い」というイメージも様変わりして
います。
「古希」を迎えて長寿を祝すという風習が
有ります。
年齢では、「数え年で70歳」での祝賀行事ですが、
意味するところは「古来稀なる長寿を祝う」
というものです。
「60歳の還暦」で「老人の仲間」に入り、
「70歳の古希」を迎えれば、もはや「長老」とも
呼ばれる部類に入っていたものです。
しかし、最近の統計資料では、男性の健康寿命の
平均が「71歳」、女性が「74歳」と示されており、
平均的な生存年数も、男性で「81歳超」、女性では
「84歳超」といずれも「古希」の年齢どころか、
「傘寿の80歳」をも越してしまっています。
「平均寿命」の伸びは有っても、
生きとし生けるもの必ず「老年期」を迎え、
最終的には、例外なく「死亡」します。
幼少の頃より、教え込まれていたことですが、
「年を重ねれば重ねるほど、酸いも甘いも包含した
経験をすることにより、人格的な練磨を重ねられ、
つまらない欲得やしがらみ、執着心から
解脱し、達観した境地に立てる」というように
思っていましたが、
いざ、自分自身がその年齢層にはいってみますと、
「老眼、目はかすみ、歯も抜け、五感を通じての
楽しみの半減」
「瞬発力、持久力、反射神経など運動能力の衰え」、
「記憶力、想像力など、知的能力の衰え」、
「注意力、集中力等精神的機能の衰え」
更に、やや病的な一面も有りますが、
「ボケ、痴呆、頻尿」症状の日常化など、
人並みの「老化現象」を体感している真っ最中
ですが、
「欲得」、「くよくよ執着」など、
「達観した境地」に立てているような
自覚とは程遠いものが有ります。
それでいて、悲しいかな、世代が隔たり
ますと、話の一つ通じにくく、判りあえない
苛立ちが募ります。
そんな未熟さの塊のような自身の生活を思いますと
最近良く耳にする「孤立化した老人世帯」の
有り様に不安の煽られるものが有ります。
我々「人間」は、紛れもなく「地球上の生物、
動物の一種」であります。
田舎、都会を問わず、何処にでもいたように
思える「でしゃばりおばさん」の存在の
有り難さ、貴重さを待望するところです。
「児童相談所」であれ、「警察」や
「教育委員会」であれ、最終的な、弱者の
人命が失われてしまって初めて動いたり、
「反省の弁」を述べたりという、
手遅れを前提に弱者と向き合っている日常の
ように見えてきます。
「良い意味」で、「懐に入り込める人材」こそ
待ち望まれるように思います。
今日の“リオ君”は
保育園はお休みです。
朝の3時ころ、
鼻血を出してしまいました。
熱を測ってみましたら、
37.3度有り、
朝食もほとんど口にせず
少し、ダルそうな様子です。
しばらく様子を見ることに
なりました。
お休みで、静養となりますと
じっとしていてはくれない
“リオ君”です。
なかなか、
思い通りには
行かないことも
教えられる
“リオ君”です。
今日も慌ただしい一日に
なりそうです。
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

