1965年(昭和40年)9月13日~20日まで

アメリカ・ワシントンで、

「世界平和第2回世界会議」が開催され、

「9月13日を世界の法の日とする」ことが

宣言されました。

 

「法」とは何ぞや、ということですが、

大きく分けて、三つに分類できると思います。

 

先ずは「自然法」と呼ばれる、哲学や倫理学で

用いられる、人間個人、或いは、人間社会での

自主的で、本源的なルールやマナーを差すもので

特別な罰則などは有りません。

 

これに対して、「実定法」と呼ばれているものは、

「国家の強制力を伴う社会規範」として決められ、

施行される「法律」を指します。

こちらは「社会に秩序をもたらし、それを保持する

ことを目的にしており、懲罰を伴います。」

 

もう一つは「方法」の「法」として使われるもので、

「物事のやり方、仕方や身の処し方」を説く

ものです。

 

今日の“世界の法の日”で謳われている「法」は

「実定法」の分野で、「法治」を「国、国家」

レベルから「世界、国際秩序の獲得、維持」

にまで拡大、強化して行きましょう

というものです。

 

「法治の芽生え」といえば、18世紀に入っての、

啓蒙主義の浸透が頭に浮かびます。

 

「太陽の沈まない世界帝国、スペインの衰退」は

有りましたが、まだまだ「封建主義」が沁み

付いていたヨーロッパに「啓蒙思想」の風が

吹き始めました。

 

代表的なものが、「モンテスキューさん」の

「三権分立(立法、司法、行政)論」と

「ルソーさん」の「社会契約論での国民主権論と

積極的自由論」ではと思います。

 

これにより、後の「イギリスの名誉革命」や

「フランス革命」に繋がり、現代にまで続く

「近代国家」としての幕開けを迎えます。

 

私の私見ですが、現代のヨーロッパの主要な

国々の「国家としてのいイメージ」にも

少なからず影響しているように思います。

 

「イギリスとフランス」は、「王室」は革命後も

残しながらも、「国民主権」はほぼ確立させる

ことができました。

 

「ドイツ(プロイセン)、オーストリア」は、

最終的な主権は「王室に留めた」ままでの、

「国民主権」でした。

 

「スペイン」は、「大航海時代からの栄光」を

引きづりつつ、「スペイン革命」がなったのは、

19世紀、1868年まで待つことになります。

 

「ドーバー海峡」を挟んでの確執は続きますが、

「イギリスとフランス」が、全ヨーロッパの

先陣を切って民主化、自由化を進める

様子が目に浮かびます。

 

第二次大戦に敗れ、やっと手に入れた「国民主権を

高らかに謳う日本国憲法」ですが、

国民自ずからの手で命がけでつかみ取ったものとも

言い切れないためかも知れませんが、

現状の日本の政治社会には「もやもや」が

堪えません。

 

「日本人の持つ自然法」の部分に、

欠落や薄弱さが起因しているようにも

思います。政治家の一人一人、国民の一人一人

までの自覚を待つということかとも

思います。

 

余談ですが、私の卒業した中学校の校歌の一節を

ご紹介しておきたいと思います。

「四海の波はよみがえり

 平和の法(のり)の射すところ…」です。

我家の“リオ君”は

甘えん坊です。

 

保育園や、遊びに外出した時には、

おしっこもうんちも

ちゃんと「トイレ」で済ませます。

 

家に居る時だけは、

パンツの中で

してしまいます。

 

洗濯も大変ですし、

止めてほしいと言いますが、

「ごめんなちゃい」の

一言で、

「良いの、良いの、誤らなくても

良いんだよ」で終わります。

 

シャキッとピシッと

したい所でも有りますが、

お詫びをされては

それ以上の追求は

できません。

 

もう、その内に

こんな時期も終わってしまい、

懐かしくなってしまうようにも

思えます。

 

速く育って欲しいようで、

今のままで、

いつまでもいてほしい

“リオ君”です。

月末から10月に掛けての

「季刊誌」や「イベント用パンフ」の

ご相談が相次いでいます。

 

多くは、

「時間の余裕は」有りません。

 

慎重に、経験を踏まえ、

時間の不足分を補うことが

必要です。

 

慌ただしい一日ですが、

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト