1951年(昭和26年)9月1日、初めての

民間放送(中部日本放送と新日本放送)が

開局し、ラジオの民間放送が開始され、

“CMソング”を使ったラジオCMがオンエア

されました。

 

この時のCMソングは「灰田勝彦さん」の

歌で「僕はアマチュアカメラマン」という

「小西六写真工業のCM」で、

「さくらフィルム」の宣伝用に作られた

ものです。

 

世界で最古とされているコマーシャルソングは

鋼索線メーカーのPR用に作られた

「フニクリ・フニクラ」とされていますが、

日本も負けてはいません。

1769年、江戸時代、明和6年に遡ります。

かの「平賀源内さん」の作詞、作曲による

歯磨き粉「漱石膏」のCMソングが有ります。

 

明治時代以降も、「都都逸や民謡の調べ」に

乗せて、製品の効果や宣伝文句を並べたりの

CMソングは作られ続けています。

 

ラジオ放送の始まりは、丁度私などの成長期に

重なっていることも有り、

CMソングで有ったかどうかも知らぬままに

すっかり耳に馴染んでしまった歌も沢山

有ります。

 

先述した「フニクリ・フニクラ」もそうですが、

「フランク永井さん」の「有楽町で逢いましょう」

(有楽町そごうの宣伝歌)や

「佐良直美さん」の「世界は二人のために」(明治製菓

の宣伝歌)など、思いがけなくも枚挙に暇もない

ほどです。

 

又、会社名や商品名もはっきりしているうえで、

耳慣れしてしまっている歌も沢山あります。

 

「ミツワ石鹸のテーマソング」、

「ヤンマーディーゼルのヤン坊、マー坊」、

「明るいナショナル」、

「光る、光る東芝」、

「あの樹何の樹の日立」、

「レナウンのイエイエ」等、

 

日本の高度成長期とも重なり、

元気で明るい歌で溢れていたように

思います。

 

又、一面では、午後の和室で、祖母が

ラジオの前に正座し、お茶とお菓子の乗った

盆を脇に置き、気持ちよさげに「浪曲」に

耳を傾けていた姿が思い起こされます。

 

ラジオからは、「大相撲」、「プロレス」、

「プロ野球中継」等と共に、

台風が近づけば「台風情報」を家族釘付けで

聞いていたものです。

 

テレビの登場、家庭への普及もその後間もなく

のことでしたが、ラジオで聞いて想像していた

風景や画像と、実際にテレビで放映されて

目にした画像との間にほとんど違和感の

無かったことには少々驚いたものです。

 

そのあたりにも、日常耳にしてきた

「CMソング」の影響も有ったのではと

思えます。

 

それにつけても、当時の日本の「電機業界」の

活況、元気の良さが改めて思い起こされる

気がします。

我家の“リオ君”は

「車の修理」が大好きです。

 

家の近くに、

「ホンダの販売店」が有り、

そこでは、洗車の様子や、

修理の様子を快く見せて

頂けます。

 

そこで見たり、聞いたりして

家に帰ると、早速、マイカーを

引っ張りだし、工具セットも

取りだし、

“リオ君の修理工場”が始まります。

 

電動ドリル、トンカチ、ドライバーなど

手慣れた扱いに驚きます。

 

先日、パパから2台目になる、

白いアルファードを

プレゼントされましたので

“リオ君のマイカー”は

2台になりました。

 

洗車と修理を小まめにして

いつまでも

大事にしていく

心掛けのようです。

 

2台目の購入には

反対意見も有りましたが、

“リオ君の心構え”には

全員、大賛成です。

 

さすがだね、

“リオ君”です。

台風一過、秋の陽ざしとは言え

日中は暑さを感じます。

 

僅かな隙を突いての

「幼児の事故、事件」が

続いています。

 

「人任せにしない」、

「一つ一つ、疎かにしない点検」、

「気の取られ」

 

慎重な仕事で、

お客様のご期待にお答え

したいと思います。

 

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト