9月1日と言えば“防災の日”というのは

「天変地異大国」である日本に住む私達の

頭に浮かぶ記念日です。

 

1923年(大正23年)9月1日午前11時58分32秒、

相模湾を震源とする、M7.9の巨大地震が

発生し、首都圏、京浜地区にまともに襲い

掛かりました。

死者・行方不明者の数は10万人以上、

首都圏の家屋、インフラは壊滅状態を呈し、

ました。

 

この地震は「関東大震災」と名付けられ、

後世へと語り継がれるものとなりました。

 

これに因んで「防災の日」として制定され

現在に至っているものです。

 

少し話は逸れますが、私にとっての

「明治の末期から大正時代」は、

「大正ロマン」という後世の言葉も

有りますが、一種の憧憬をも心に

持たせられる時代でも有ります。

 

時代背景は、日露戦争に何とか勝利し、

第一次大戦では「連合国側」に有り、

明治期の北海道の開拓から、満蒙の開拓へと

スケールも拡大しつつ、貧しい農村の次男、三男

或いは、一家こぞって、国の主導のもとに

「開拓団」が編成され、派遣、移住の促進が図られる

という厳しい時代でもありました。

 

そんな中、有力な女性の「文筆家」、「小説家」、

「思想家」が排出され、第二次大戦での敗戦に

よるまで果たされることは有りませんでしたが、

「女性の顕著な羽ばたき」が始まった時期のように

思います。

 

明治期の「樋口一葉さん」から「与謝野晶子さん」

へと引き継がれたバトンを受け取ったのが、

「平塚らいてふさん(明さん、ハルさん)」で、

1911年(明治44年)9月1日、雑誌「青鞜」を

創刊しました。

 

その寄稿文の標題が、

「原始、女性は太陽だった」というもので、

現在でも何かと頻繁に引用されている文言です。

 

更に、その後は「伊藤野枝さん」、「岡本かの子さん」

等に引き継がれ、敗戦後のGHQの進駐をもって

大きく花開くものとなりました。

 

「平塚さん」は昭和45年に亡くなるまで、

女性の解放、地位の確立を提唱し続けました。

 

明治、大正、戦前の昭和期の「男性」にとって

「甲斐性のある男」は「妾、二号、三号」は

当たり前、寧ろ、世間に声高に誇りうること

でも有りました。

 

一方では、「女性の不倫」には、言語道断の

「極刑」が待ち受けていましたし、

世間の見る目も「尻軽女」として、

「人間失格」に等しい扱いをされてもいた

ものです。

 

父も母も「大正生まれ」ということも

若干あるかと思いますが、

私の中でのイメージの連想する女優さんは

いづれも魅力的で、好感の持てる皆さんです。

・樋口一葉さん…八千草薫さん

・与謝野晶子さん…原 節子さん

・平塚らいてふさん…吉永小百合さん

 

というところです。

ここの所は、あくまでも私個人の中での

独断と偏見の故ですので、

百人百様の異論は有って当然と心得て

いますので、お気に召さぬところも有るかと

思いますが、

ひたすら、ご容赦のほどお願い

申し上げたいと思います。

我家の“リオ君”の

今、一番のお友達は

水族館で買ってもらった

「皇帝ペンギンのペンちゃん」です。

 

寝る時も、食事中も、

近所のお散歩も

いつも一緒です。

 

「ペンちゃん」を買ってもらうまでは

動物園で買ってもらった

「コアラ君」でした。

 

その前は、

「茶色のプードル君」で

その前は、

「象さん」でした。

 

時には、皆、横並びで

賑やかに寝ている風景も

見られます。

 

皆で、

仲良く遊んでほしい

“リオ君”です。

いよいよ9月です。

 

お客様に喜んで頂ける

笑顔を楽しみに

頑張りたいと

思います。

 

よろしくお願い致します。

 

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