1853年(嘉永6年)7月14日、アメリカ

「フィルモア大統領」からの日本への開国を

求める「国書」を携えて「ペリー提督」率いる

「黒船4隻」が、今の神奈川県、三浦半島の先端部、

「浦和の久里浜海岸」へ上陸をしました。

日本の幕府は「第13代征夷大将軍 徳川家定さん」の

御世です。

 

この「ペリー提督率いる黒船軍団」は、遥々(はるばる)

大西洋を横断し、ケープタウンからインド洋、上海を

経由しての大航海を経て来日したものです。

 

この上陸の翌年には「日米和親条約」が締結され、

「徳川家光さん」の1639年(寛永16年)から220年近く

続いた「日本の鎖国政策」は終了することとなります。

 

「鎖国政策」の目的は、当時、戦国時代から続く

「キリシタン(蔑称)」の暴虐、狼藉(寺社への乱暴、

破壊活動、抵抗する農民、庶民の海外への奴隷輸出

など)の根絶、「宣教師を工作員とした欧州各国の

内政干渉、ひいては植民地化の予防し、日本の

独立主権の保持」を目的としたものでしたが、

「大航海時代」を経て、「帝国主義的な植民地

獲得競争」の時代に入っており、「鎖国政策」

そのものも「行きづまり」状態に有りました。

 

これ以降「攘夷派」、「開明派」の離合集散が

繰り返され「明治維新」へと時を刻んで行くことに

なります。

 

私が思います「不思議、縁」ですが、

日本が大きく変わろうとする時のきっかけが

「連続してアメリカによってもたらされた」という

所です。

 

この凡そ100年後「第二次大戦での原爆投下と

東京を始めとする都市への空襲」で、

日本は「民主国家」への道を歩き始めます。

 

「ペリー提督の黒船来航」は、

「太平洋戦争終結時の原爆投下等」に

匹敵するものであったと歴史上でも示されている

もので有ったと思いますし、

それなかりせば、明治維新も、日本の近代化も

全く違ったものになっていたのではと考える

ところです。

我家の“リオ君”の

心配りには感心させられます。

 

食事の時には、

いつも回りの状況に配慮して

もらえます。

 

「じっちゃん、ゼリー」

(じっちゃんの前にはゼリーが無いことを

心配してくれています。)

 

「ママ、お布団、ない」

(ママがお布団を掛けずに寝ているのを

心配してくれています。)

 

「アンちゃん、ご飯」

(猫の餌箱が空になっていることを指摘)、

 

保育園の先生からも、

「落し物を拾ってきてくれた」など、

お褒めの言葉をよく聞かせて

もらえます。

 

いつの間にか、

皆をファンにしてしまう

“リオ君”

「スゴーイ」です。

夏の行事に合わせての、

「Tシャツへのプリント」が

相次いでいます。

 

シーズン的にも「繁忙期」に

入っていますが、

力一杯、ご期待に沿えるよう

頑張りたいと思います。

 

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト