1939年(昭和14年)7月6日、

「零式艦上戦闘機」の試作機の試験飛行が

開始されたことを記念しています。

 

試作時の名称は「十二式艦上戦闘機」で、

略称は「十二試艦戦」です。

正式に“零式”と命名された理由は、正式に採用された

1940年(昭和15年)は、「皇紀2600年」に当たる

ことから、その下二桁の「00」から「零式」とされた

ものです。

 

1939年と言う年は、

社会的には、あの「双葉山さん」が「安芸の海さん」に

破れ、連勝記録も「69」でストップしたり、

我が愛知県の「東邦高校」が、春の甲子園で

優勝したりも有りましたが、

世の中は、戦時色を強め、風雲急を告げるごときの

様相を呈していました。

 

短期の内閣でしたが、「平沼騏一郎内閣」も登場し、

「日中戦争(日華事変)」も泥沼化する中で、

「生めよ増やせよ国のため」をスローガンに

「不要金属用品の供出」や「食品の配給制度」、

「国民徴兵制度」など、全面戦争への下地となる

法律が次々と成立を見た年でも有ります。

 

世界では、日独伊の三国防共協定に、ハンガリーと

スペインも加わり、英仏はドイツに対して

正式に「宣戦布告」をした年でも有ります。

この時、アメリカは「中立」の立場を宣言して

いますが、ちょっと注目しておきたい動きも

有りました。

 

「アインシュタインさん等在米の科学者達」が

「原子力の軍事への応用の可能性」を

「ルーズベルト米大統領」に意見具申したことです。

これを受けて、アメリカでは早々に

「原子爆弾製造の検討」に着手しています。

 

“ゼロ戦(零式艦上戦闘機)”の性能は、

航続距離3000km、

重装備を施されながらも、

抜群の運動性能を誇り、

更には、軽量化にも成功しています。

 

大日本帝国海軍とインドネシア空軍に

配備され、累計で10390機生産されました。

 

第二次大戦の中期までは、

その名を轟かせる活躍を示しましたが、

アメリカの「対ゼロ戦戦法の確立」や、

「F4Uコルセア」や「F4Fヘルキャット」など、

「ゼロ戦」を研究し尽くしたライバル機の

登場で、苦戦し、劣勢に追い詰められて

行く後半戦となりました。

 

最終的には、アメリカが前面に出ての

戦争の中、敗退を重ねる日本軍の中で、

一時なりとも輝いた、日本国産の

「高性能の戦闘機」であった、と

語り伝えられつつ現在に至ります。

“リオ君”の第2作です。

 

何を描いているのかは

誰にも判りません。

 

それぞれの筆致に

力強さと

大胆さが有るように見えますのは

少し「ひいき目」ならではで

しょうか。

 

じっちゃんには

描けないものが

描ける“リオ君”です。

 

伸び伸びと

楽しんで欲しい

“リオ君”です。

「カラビナ」作成のご用命を頂きました。

 

腰やバッグに吊り下げたり、

両手を使いたい時などには

何かと重宝なグッズです。

 

イベントの景品(粗品?)として、

可愛く、人気の商品です。

 

今日のお問い合わせも

楽しみです。

 

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト