大正11年(1922年)に「日本ローマ字社」が

設立されたのを記念して、昭和30年(1955年)に

“ローマ字記念日”として制定されました。

 

「ローマ字」とは、仮名(漢字を基にして日本で

作られた文字のことで、平仮名と片仮名があります)

を「ラテン文字(ローマ字、アルファベット)」に

転写する際の規則全般(ローマ字表記法)、又は、

ラテン文字で表記された日本語を言います。

 

15~16世紀、戦国時代、布教のために日本を訪れて

いたカトリック教会の「イエズス会」の用いていた

「ポルトガル語」から「ラテン文字」との関わりが

始まります。

 

「細川忠興さんの書簡」や、京都で発見された木簡など

からその記述が確認されています。

1581年には大分県で日本で初めての日本語と

ポルトガル語に対応した辞書「日葡辞書」が作られて

います。

 

「ポルトガル式のローマ字のあいうえおですが、

あ(A)、い(I)、う(V)、え(Ye)、お(Vo)、

か(Ca)、き(Qui)、く(Qu)、け(Que)、こ(Co),…」

というものでした。

 

江戸時代に入りますと、鎖国時代の中で

「オランダ式ローマ字」が現れ、幕末に到り、

来日していたアメリカ人「J・C・ヘボンさん」が

「和英語林集成」を著し、この中で、英語に準拠した

ローマ字を使用するに至りました。

 

現代に通じる「仮名」と「ローマ字」を一対一で

対応させた最初の方式であり、「ヘボン式ローマ字」

として知られ、現代ローマ字の原点となっています。

 

明治時代から大正時代にかけての「ローマ字」は

まだまだ、一部の知識人の間のみで使用され、

庶民には馴染みの薄いものでした。

 

それだけに、著名な作家、文筆家などは、日常の

「日記」を「ローマ字」で書くことで、家族や妻には

知られぬままに過ごすための「ある意味少し姑息ですが、

穏やかな日常を確保する」ための手段として使われていた

という実例も存在します。

 

戦後の日本では、小学校で履修していますが、

「母音と子音」で一目瞭然に日本語の基本的な発音組成が

理解できるものとして「平仮名、片仮名」と同様に

受け入れられるまでに至っています。

又、アルファベットへの抵抗も随分薄くする効果も

発揮しているようにも思います。

 

現代では、私達からしますと、

「日本語で充分説明でき、理解させることもできる」ことを

「カタカナ言葉、英語やラテン語の単語や文節の闖入」で

逆に、もう一つ判りにくくさせてしまっている場面が

気になってしまうところです。

 

それを口にしている本人の心情を推察すると

・頭の良い所を示したい、

・横文字をさらっと出すことで、オシャレ感を出したい

など、話の本題とはずれた方向や

「その横文字の意味を日本語に翻訳する為の間が必要」

という、マイナス方向の役割で終わってしまう

ことが多いように思います。

 

特に、このところの「政治家さん」の発言には

「庶民の生活感」、「弱者への労い」を

忘れてしまっているのではと

心配な気持ちに駆られるところです。

我家の“リオ君”の

寝かしつけ係は

「じっちゃん」です。

 

夜の9時を過ぎても

寝られない時には、

私の寝室へ向かってくる

小さな足音が必ず聞こえます。

 

ドアは開けっ放しですので、

枕元へ来て

「じっちゃん、寝んね」と

私に声を掛けます。

 

居間の「炬燵」の所で

クッションを組合せ、

足を温め、

二人で寝んねです。

 

「ねんねの上手なリオ君」

「しっかり寝ると、

明日も元気に一杯遊べるよ」など

声掛けしつつ、

 

お尻を軽く、ゆっくり「とんとん」します。

「カナリアの歌、みかんの花咲く丘、

桃太郎、歩こう歩こう、椰子の実」など

小声で歌っていますと、

小さな声で、

「もう黙って…」という声が

聞こえます。

 

縫いぐるみの

「ワンワン君」と

寝息が聞こえます。

 

10分から15分で

寝息が安定しますと

抱っこして、

「リオ君」のベッドへ

異動です。

 

朝までしっかり寝入ってもらえます。

(たまに、稀ですが、鼻血で大騒ぎもあります。)

 

今日も「ご苦労様、ありがとう」の

“リオ君”です。

もう「梅雨近し」を思わせられます。

 

「反転攻勢」を目論む事業者様がの

積極的な動きが目に入り始めています。

 

無理や無駄を省きつつ

一緒に目標に近づけますよう

頑張ります。

 

今日もよろしく

お願い致します。

 

アンクリエイト