1946年(昭和21年)4月27日、警視庁で日本で初めて

“婦人警察官”62人が採用されたことを記念しています。

 

全面的に「連合国最高司令部(GHQ)」の指導の下で

発足したもので、制服もアメリカに倣って「黄色の

スカート着用」というものでしたが、「逮捕権」は

付与されておらず、あくまでも「男性警察官」の

補助的な役割、立場のものでした。

 

身長150㎝以上という募集要件のもと、30倍近い

応募者の中から選別され、初任給は279円50銭だった

とのことです。

 

2000年の「男女雇用機会均等法の改正」に伴い、

呼称も「婦人警察官」から「女性警察官」に変わり、

現在では2万名を超す「女性警察官」が居り、

キャリア組の「警視監」が誕生するまでに至って

いますが、未だ、10%までには届いて居りません。

「警察」は「男性色の色濃い社会、職場」です。

 

“女性警察官”にも、武道では「柔道、剣道、合気道」の

内の一つでは「初段」を修得することが奨励されており、

多くは取得しています。

 

現在では、女性被疑者の増加、性犯罪の増加など「女性」

の方が立ち入ったり、扱いやすい傾向を持つ事案も

増えており、「女性捜査班」が編成されてもいますし、

「女性白バイ隊員」も多数誕生しています。

 

「女性白バイ隊員」は、昭和42年から任命、始動され

ましたが、当初使用したものは「スクーター」だった

ことも、「さもありなん」と思わせられるものが有ります。

 

良く耳にする「女性警察官」の「評価」ですが、

余りよくは有りません。

概して「融通が利かない」という声がほとんどです。

「駐停車違反、進入禁止違反、酒気帯び運転」等、

事故に到る前の比較的軽微な違反で、車の窓越しに

「切符を切られた」人たちの声ですが、

「本人が悪いことをした」ことは間違いは無く、

「運が悪かったね」など、同情の声は出しても、

罪は罪ですし、繰り返すことの愚を心すべきものです。

 

私も、二人組の「女性警察官さん」のお世話になって

しまったことが有ります。

昭和56年6月13日のことです。

早暁、妻が産気づき、長男が「安城更生病院」で産まれ

ました。

この頃の「更生病院」は、JR安城駅にほど近くに有り、

当時3歳の長女と「更生病院」へ駆け付け、

無事な出産と、元気な長男を確認し、長女を天車しつつ、

駐車場所へ戻ってきたところ、

「二人の婦人警官さん」が、私の車の横で何やら

点検やメモ取りをしているのが目に入りました。

 

早速、ここへ駐車した事情を聞かれましたので、

長女を下ろし、「妻の出産から長男の無事な誕生」まで

話しましたところ、お二人も「おめでとうございます」と

喜び、祝福して頂き、今後は「気を付けてくださいね」との

ご指導を頂いたものです。

 

別れ際には、長女もニコニコで、バイバイを繰り返し

お二人とお別れとなりました。

 

こんな経緯を経験してもいますので、

私の「女性警察官の皆さん」へのイメージは

悪いものでは有りません。

 

融通の利かない「男性警察官」と、警察官の人数の

半々を占める日の来ることを楽しみにしている

一人です。

我家の“リオ君”の

散歩コースに

「安城警察署」が有ります。

 

家を出て、

「ドミー」、「浜寿司」、「Vドラッグ」を

経て、信号を渡ると「警察署」です。

 

大概、朝の8時から9時の間ですので、

「警察署」の前には

沢山の「パトカー」が並んでいます。

 

ミニパトやバンタイプなど

いろいろです。

 

“リオ君”は、大きな声と手振りで

「イーチ、ニ~、サ~ン、…」と

数えます。

 

たまたま居た「おまわりさん」も

ニコニコ笑って、手を振ってくれます。

 

しばらく楽しんで、

その先に有る「消防署前の公園」へと

向かいます。

 

そちらでは、「梯子(はしご)」を空高く伸ばす

訓練に遭遇します。

 

「パトカー」と「救急車」と

「消防車」の大好きな

“リオ君”です。

昨日は、商品シールの追加のご注文と

 

「ネイルショップ」の

オープンのご相談が有りました。

 

来月の20日頃には「オープン予定」

ということで、

名刺、ショップカード、オープンチラシ、

カルテ、領収伝票、封筒、ゴム印など

 

取りかかりの“ロゴデザイン”からの

ご相談でした。

 

予算決めから

無駄、無理、ムラを排除しつつ、

お客様の期待以上の

「モノづくり」が

試されるところです。

 

腕の見せ所は

続きます。

 

今日もよろしく

お願い致します。

 

アンクリエイト