1888年(明治21年)4月13日、東京・上野に
日本で初めての“喫茶店”、「可否茶館(かひさかん)」が
オープンしたことを記念しています。
コーヒー一杯が1千5厘で提供されたとのことです。
喫茶店も、栄枯盛衰をくりかえしながら、現在に
到っていますが、随分、雰囲気や形態は変わってきて
います。
「スターバックス(スタバ)」、「コメダ」、「ドトール」
などのチェーン店や、「各種、各地のカフェバー」、
「カフェ・ド・クリエ」などには新鮮味が感じられます。
私にとっての「喫茶店」との関わりは、高校時代あたりに
有りそうです。
岡崎で高校に通学していましたが、小高い丘の上に
校舎とグランドが有り、その生垣のすぐ東側に、
「おでん、おしるこ、うどん」等をその場で食べられる
お店が有りました。
そのお店への行き来は、生垣の下部に「抜け穴」が
有り、お昼時間や放課後には多くの生徒が足を運んでいた
ものです。
ただ、ちょいちょい先生の見回りが有り、特に、授業と
授業の間の短い休憩時間の時などには、
見回りを緊張しつつ「おしるこやおでん」を頬張って
いたものです。
四国、松山での学生時代には、「喫茶店」が日常生活に
入り始めました。
校舎から城山を経て、大街道という松山で一番の繁華街
へ向かう途中の、城山の麓に有り、そこにはいつも
学生がたむろしていたことを憶えています。
漫画や、週刊誌、新聞などを読みふけっている学生が
多かったように思いますが、サークルや友人たちとの
待ち合わせ場所として良く使わせてもらいました。
今も有るようでしたら、是非一度訪ねたいお店です。
確か、店名は「オアシス」だったように思いますが、
60年近く前のことであり、定かではありません。
社会に出てからは、職場での昼食後の定番的な
「一幅の場」として使い続けてきました。
名古屋地方での特徴は「コーヒーに付随する多様な
サービス」が当たり前と言うところです。
そもそもは、「ピーナッツや豆菓子」等が、コーヒー
や紅茶を注文すると一緒に提供されていましたが、
何時の頃からか、「小トーストやショートケーキ」まで
付いてきてしまい、「コーヒーだけの料金」で済むものか
心配な気もしたことが有りました。
今では、軽食に留まらず、本格的な食事を目的に
来店するケースも多いようです。
私もその一人です。
「喫茶店」のイメージは、「芥川龍之介さん」や
「太宰治さん」など大正から昭和にかけての、
文筆家たちの来歴に現れる「ともすればやや退廃的な
一面、一方では、未知の魅力の漂う空間。男と女が
ひっそりと秘密を共有し合う場所。」というような
イメージが有りましたが、「ガロさん」の
「学生街の喫茶店」の大ヒットからは、
すっかり身近なものに衣替えしたように思います。
本来の「コーヒー」そのものの風合い、味わいを
楽しみ、愛で、一時の至福の時を過ごせる場所として、
又、毎朝、一幅のお茶を頂くことで、一日の
始まりとしている私としても、“喫茶店さん”には
末永くお世話になりたいところです。
よろしくお願い致します。
我家の“リオ君”は
「お茶、牛乳、オレンジジュース、
グレープジュース」などは大好きで
美味しそうに飲み干します。
一方で、口は付けても
大変な顔になり、
「ペッ、ペッ」となってしまうのは
「コーラ、サイダー、炭酸飲料」です。
一杯遊んで、バナナやドーナッツを食べ、
コクコクと「水」を飲んでいたかなと
ふと“リオ君”の方に目をやると
大概は、もう寝ています。
羨ましい景色です。
見習えるものなら
見習いたい“リオ君”です。
3月から4月に入り、
2月までとは少し変わりだしたかな
という気配を感じます。
ゴールデンウイークを控え、
いろいろなイベントの準備も
進んでいます。
ノベルティや、案内DM,チケットその他、
「コロナ」との付き合い方も
相互に心得てのイベントの開催が
想定されています。
もう一歩のところまで
来ているのではと思います。
今日も一日
よろしくお願い致します。
アンクリエイト

