1889年(明治22年)4月11日、「現在の中央線の
前身」である「甲武鉄道」の「新宿駅」から「立川駅」間が
開業しました。
2019年に、130周年を迎えたことを記念して、
「中央線の開業記念日」として制定されたものです。
中央線とは、東京駅から新宿駅、高尾駅を経て山梨県を
通り、長野県の塩尻駅から更に、岐阜県を経て、
愛知県の名古屋駅までを結ぶ、全長396.9kmに及ぶ
日本列島の中央部、山岳地帯の動脈としての役割を
今も果たしている鉄道路線です。
「塩尻駅」を境に、東京側の約220kmは「中央東線」、
名古屋側の約180kmは「中央西線」と呼ばれ、
運営会社も別に区分けされています。
又、塩尻駅からは「篠ノ井線」が、「松本駅、長野駅」
方面へ伸びており、東京からも名古屋からも直通で
乗り入れています。
私にとっての「中央本線」ですが、成人してからは、
もっぱら「夜行で行くスキー」でしたが、
思いで深いのは、学生時代、初めて「信州」の地に
足を踏み入れた思い出です。
兄が、信州大学の学生で、松本市に寮が有り、
そこを利用させてもらい、友人と二人、夏の信州で
遊ばせてもらった思い出です。
名古屋駅を夜の11時ころの急行で「松本駅」へ
向かいました。駅弁を食べた後はすっかり寝入って
しまったと思いますが、兄から聞いていた松本市若里
の兄のいる寮まで二人で歩いたように記憶して
います。
時間は、充分すぎるほどありますので、
松本市の繁華街や松本城公園、街並みを、
途中、そばを食べたりしながら、市中の地図を手に持ち
歩いたものです。
兄のいる寮では、兄の友達も交え、「特製の手料理」、
「玉ねぎのみじん切りに削り粉を降りかけ、醤油で味付け
したおかず」で、ご飯を何杯もお替りした覚えがあります。
翌日からは、志賀高原、美ヶ原、野尻湖など、
二人で、信州をふらつき、堪能させてもらいました。
「暇は有るけど金は無い」という旅でしたが、
記憶に残るものでした。
この時、中央本線のお世話になりましたが、
思っていた以上に長さのある路線だったという
印象が有ります。
社会に出てからは、名古屋側からも、東京側からも
「スキー」の行き来で利用させてもらいましたが、
混み合う夜行では、床に新聞紙を敷いてでも
「体を休める」ことに専念する夜行列車の旅で
有りました。
太平洋縁を走る「東海道線」や「新幹線」とは、
赴きも、経済的な効果度も異なるとは思いますが、
いつまでも残っていてほしい「路線」です。
振り返ってみても
「ありがとう」の気持ちです。
我家の“リオ君”の
ちょっと遠めのお出かけは、
「じっちゃん自転車」です。
自転車のサドルの前側に
「リオ君専用の座席」が有ります。
その前の籠には、
「タオル、ティッシュ、お水、バナナ、ドーナッツ、
アンパンマンクッキー」あたりが、常備されています。
昨日は、
安城、赤松から泉を経て、
油が渕へと
絶好の好天の中、
いくつもの遊園地で遊びながら
向かいました。
昨日の一番の印象は、
西小学校の「小山の上から下る、
長い、長ーいスベリ台」と
ホンダ安城店での「自動車の修理と
洗車場の見学」だったようです。
修理している叔父さんやお兄さんも
大歓迎で、大喜びの「リオ君」でした。
もう少ししたら、絵の具やクレヨンを
積み込んで、
ゆっくり「お絵かき」が楽しめそうな
気もします。
家では、鯉のぼりもゆっくりと
泳いでおり、
楽しい、気持ちの良い
一日でした。
今日も「ありがとう」の
“リオ君”です。
少しずつですが、「募集用」の
チラシ、パンフレット、小冊子などの
ご相談が寄せられています。
「オミクロンの変種」への注意の喚起も
有りますが、
付き合い方も心得出せ始めたかな?
という気もします。
メジャーの「大谷選手」の朗報は、
未だ聞こえてきませんが、
ロッテの「佐々木投手」の「完全試合」には
内容も併せて、「快哉!」を思います。
月の満ち欠けは毎日のことですが、
「見えないところ」も大切にすべく
気持ちを前へ進めたいところです。
今日のお客様も、
楽天派、慎重派それぞれ有ると思います。
それぞれに「思い」のある
ところを尊重すべきと思います。
今日もよろしく
お願い致します。
アンクリエイト

