今日から、日本の子供たちは“新学年”を

迎えます。

あいにく天気は「花曇り」で、肌寒さもありますが

希望に胸を膨らませたり、新しい環境に馴染めるか

不安な気持ちも持ちつつ今日の日を迎えている

のではと思います。

 

日本の“新学年”の始まりは、桜の花も満開の中で

迎える「4月」です。

しかし、世界の中では「非情に少数派」に属します。

圧倒的に多いのは「9月」です。

 

アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、イタリア、中国、

香港、カザフスタン、サウジアラビア、トルコ等、

主だった国はほとんど9月に集中しています。

 

その他では、1月はシンガポール、2月はブラジル、

3月は韓国、アルゼンチン、4月が日本にインドネシア、

ペルー、5月がタイ、6月がフィリピン、8月がハワイなど

有りますが、それぞれ少数派です。

 

明治6年に日本で“学制”が初めて公布された時には、

「フランス」に倣った中央集権的なものでしたが、

9月が新学年の始まりとされていました。

 

日本で“新学年”を4月に持ってきている理由としては

以下の二点の理由が揚げられます。

①日本軍の当時の新兵の募集が9月であり、それに

 先だって募集することで、優秀な人材を募集できる。

②日本の会計年度が「新年度の起点を4月」としており、

 会計処理の都合上、4月が都合が良い。

ということですが、②の理由にほとんど寄っているのではと

思います。

 

世界の傾向の本流となっている“9月新学年”の起源、

理由については、「中世イギリスの大学制度」に

倣ってのものではという説が有ります。

 

当時、イギリスで大学に入学しますと、入学すると

直ぐに、農家へ出向き、農作物の収穫作業を手伝う

ことにより「生きた学問、社会に有用な学問」の修得を

志す体験をしたということが記されています。

 

近年、学校へ「行く自由、行かない自由」を始めとして、

種々取りざたされています。又、少子化で、子どもの

絶対人数そのものも減ってきています。

 

そんな中、社会全体の総意として意識したいことは、

「勉強はいつでも、いくつになっても、自分がその気に

なりさえすれば、できるもの」という“楽観意識”ではと

思います。

 

「~ねばならない意識」からの脱却です。

追い詰め、苦しめるを自分で自分に課す選択は

無用のことと認め合いたいものです。

 

人として生まれて50年もすれば、「経験したことの

全てが今ある自分にとっての勉強になっている」

ように思います。

その中で、「先生」という呼称の有るなしに拘わらず、

誰もが「かけがえのない恩師」に出会っているのではと

思う所です。

我家の“リオ君”は

「安城保育園」の保育園生です。

 

制服の「スモック」を着て、

黄色の「かけ鞄(ポーチ)」には

ハンカチとティッシュと小さなポットを

入れています。

制帽を被って、

元気に登園です。

 

パンツも自分で脱いで

おしっこもできるように

なりました。

 

「いただきま…」、

「ごちま?…」

「おかえりなさい」

「ただいま」

「おはよ」

など、

元気にご挨拶も

できるようになりました。

 

3年前の3月に

身長39センチ、体重1600グラムで

生まれた“リオ君”です。

 

まだまだ、同年齢のお友達の

中では、小柄で幼稚ですが、

生まれた頃からを思い起こせば

驚くほどの成長ぶりです。

 

いちいち「感動をありがとう」の

“リオ君”です。

「オミクロン株」への厳重警戒は

続きます。

 

しかし、それはそれ、これはこれの

棲み分けの要領も

かなり弁えてこれたように

思います。

 

新学期からゴールデンウィークに

向けての準備のご相談も

着実に増えてきています。

 

絵画の展示会、音楽、ダンスの

発表会などに使用する「ポスター、

案内DM、チケット」等のご相談も

頂き始めました。

 

今日も頑張りがいのある

一日になりますよう

よろしくお願い致します。

 

アンクリエイト