1882年3月24日、ドイツの細菌学者「ロベルト・コッホさん」が
「結核菌の発見」を学会で発表したことを記念して、
1992年に記念日として制定されました。
目的は「誰一人取り残すことなく、結核の流行を終息させる
ために団結しましょう」というものです。
「結核」という病気は、「結核菌」という細菌による慢性感染症
です。
「空気感染」による感染が主流であり、人の密集度が流行に
大きく影響するものでした。
世界での初見は、「エジプトの遺蹟」からも確認されて
いますが、日本でも「弥生時代の遺蹟」から確認されて
いる、古くから付き合ってきた病気の一つです。
特に、日本では、明治維新以降、年への人口の
集中が加速し、「結核」は「日本の国民病、亡国病である」
とまで称されるほどの蔓延、流行を来してしまいました。
多くの著名人も「結核」で亡くなっています。
「高杉晋作さん、沖田総司さん、正岡子規さん、樋口一葉さん、
石川啄木さんその他」数え切れません。
1951年(昭和26年)より、「BCGワクチンの接種」が義務付け
られました。
以降は、急速に「罹患率」は収束に向かいます。
現代では、「不治の病」という呼称群からは抜け出して
いますが、欧米諸国との比較では、未だ高い「罹患率」を
示しています。
私の父も「結核」を患いました。
国内各地の山の登山を繰り返した、
頑健な体の持ち主だったとのことですが、
戦争から帰還した後、罹患し「大府にあった療養所」に
入院していたことを思い出します。
父の背中には、首の付け根の下から、脇へ向かって
20~30㎝の及ぶ手術跡の傷が残っていました。
幸いにして、回復し、我々子供たちも成人し、独り立ち
できるまで見届けてもらえましたが、「片肺」という
不自由さは付きまとったのではと推測しています。
私の叔父も「結核」に掛かり、大府の療養所から、
自宅に帰り、療養していましたが、回復できず
亡くなってしまっています。
一人息子が有り、家も近かったため、私達と
ほぼ兄弟のように育つことになりました。
今も、毎週の土曜日、私達3人兄弟に、その従兄弟
が加わり、「烏鷺」を戦わせています。
もしもの話ですが、父が「結核」にさえなっていなければ、
恐らく、各地の山へ、父と同行できたのではと
残念な気持ちも湧いてきます。
当時は、少し顔色の悪い、蒼白いような子には
「肺病かも知れんよ」など、無責任な言葉も
飛び交ったものです。
昨今の「コロナ騒動」とも、被さるところ大なるものが
有りますが、冷静に、落ち着いて、対峙して行く
ことの肝要さを思います。
必ず、「収束」に向かいます。
我家の“リオ君”ですが、
昨日來、おなかの調子が
もう一つです。
大便が、やや白っぽく、
下痢気味です。
元気は良く、
熱も有りませんので、
一晩寝かせて、
今日は「クリニック」で
診察してもらう予定です。
そういえば、
一昨日のご飯の時に、
本人は嫌がっていましたが、
頑張って、牛乳をがぶ飲み
させてしまったあと、
「げふっ」と嘔吐させて
しまいました。
お腹の具合がもう一つ
良くなくて、
牛乳を口にするのを
嫌がっていたのではと
こちらが反省しきりです。
無理をさせても
良いことは何も
無いものですね。
今後、気を付けます。
「シール、ラベル、缶バッジ」など、
イベントに備えてのグッズの
ご相談が増えてきていまう。
野球、卓球、登山、空手、太極拳、
ダンス、バレー、演劇、合唱団、絵画
、短歌、俳句など文芸その他
慎重を期しつつも動き始めた
気配がしてきます。
手足を大きく広げ、
伸び伸びと過ごせるのも
すぐそこのように思います。
今日の一日、
楽しみに過ごしたいと
思います。
よろしくお願い
致します。
アンクリエイト

