2000年、フランスのパリで開催された

「ワールドキャンサー・サミット」で宣言された

記念日です。

 

「世界中の人々の知恵を結集し、一緒に考え、

行動を起こそう!」との趣旨のもとに宣言されました。

 

今の時代、「がん」は、直接的な死因のナンバーワン

を不動の地位を占める病気です。

幼児や若年層から年代を問わず罹患し、

看護や介護等の問題に加え、

家族への心理的、経済的影響は看過できない

ものが有ります。

 

私の家系では、母方の祖父が「胃がん」で、64才で

死亡しています。

幼少時より、私の風貌はその祖父に良く似ていた

とのことで「生き写し」等との言葉も耳にして

育ったものです。

 

そんな私ですので、「お爺さんは胃がんで

64才で死んだ。」という記憶はいつも頭にありました。

いつの間にか、何となくですが、私も64才あたりで

「がん」になるのではという予感と言いますか、

気持ちが有りました。

 

偶々ではあると思いますが、正にその64才にして

私も「がん」が見つかり、手術、治療をすることに

なりました。

私の場合は「大腸がん ステージ3A」というものでした。

 

早々に、手術をし、2年間ほど点滴による「抗がん剤治療」を

受けましたが、3年目にして、再発が確認されてしまいました。

 

改めて、「抗がん剤治療」を3年ほど続けている内に

指標も「健常値」を示しだし、今は、3か月に一度の

検診のみで、薬の服用も無く今日に至っています。

 

治療中の「違和感、苦しさ」は、術後の「抗がん剤」の

副作用にありました。

「食べ物の舌触りのザラザラとした砂を噛むような違和感」、

「数日に亘る、キツイ、下痢症状」

「ものに触れる都度の過敏な静電気現象」

その他、思いだしきれませんが、

日常生活は非常に不快なものとなりました。

 

幸い、娘と息子が身近におり、

何かと我がままを受け入れてくれましたので

まるまる10年を経て、大過なく現在に至っていますが、

「案外近い死」を意識しつつの10年だったようにも

思います。

 

医師から「健常、完治」を告げられた私に場合は

幸運だったケースであることは確かですが、

こうは行かなかったケースが多々あります。

 

私も「抗がん剤の点滴治療」は、ベッド数が10を数える

専用の部屋で、一回につき4~6時間を掛けて行われます

ので、いろいろな患者さんの様子が伝わって来ます。

 

患者さんには、「小学生位の幼児、高校生?、少なくとも

40代前とおぼしき女性、他の病気も抱えてしんどそうな患者、」

など多様でしたが、記憶に強く残っていますのは、

「幼児の患者さん」と「付添いのお母さん」との会話です。

お母さんの口からは、宿題のことなど、気丈に、

半ば叱りつけるような言葉も口に出て、笑い声も

交えたものでしたが、快癒の方向の会話の内容は無いままに

いつの間にかですが、治療の場から姿を消してしまいました。

 

「生老病死」を目の当たりに突きつけられる

「治療の場」は「戦場」でもあるかなと

思ったところです。

 

「世界対がんデー」を機に、

今日の一日だけでも

「がん」に対して、

思いを馳せてみたいものと思います。

我家の“リオ君”は

「炬燵」が大好きです。

 

靴下を脱ぎ、

家じゅうを裸足で

駆けずり回りますと、

足の先まで冷たくなって

しまいます。

 

炬燵の上には、

バナナ、みかん、水、お茶、

ジュースとクッキーが

乗っています。

 

“リオ君”の活動の

前線基地が炬燵でも有ります。

 

炬燵で、水分を取り、

足を炬燵に入れますと、

足先まですぐに

温まります。

 

ふと見ると、

“リオ君”は

もう、ぐっすり寝息をかいて

夢の中です。

 

私も結構単純ですが、

判りやすい“リオ君”に

万歳です。

「オミクロン株」が治まりません。

 

昨日、神奈川に住む「叔母」の

死亡の通知を受けましたが、

「家族葬」で済ませるとのことです。

 

100才まではあと一歩の99才での

「大往生」です。

 

名古屋の街の「活気」も

もう一つですが、

前を向き、足を踏み出すお客様と

足並みを揃え、

頑張って行きたいと思います。

 

今日もよろしく

お願い致します。

 

アンクリエイト